天得院(てんとくいん)は京都市東山区にある「桔梗(ききょう)の寺」としても有名な臨済宗東福寺派の寺院です。

天得院の大本山である東福寺(とうふくじ)は、臨済宗の寺格・京都五山(きょうとござん)の第四位に位置し、25の塔頭寺院を有する日本有数の禅寺です。

また、中でも格式高いとされた五つの塔頭は特に「東福寺五塔頭」と称されました。

天得院は、この東福寺五塔頭の一つ。

そんな天得院の見どころは、「蒼の桔梗と緑の杉苔が織りなす方丈庭園の風景!」

境内に広がる庭園では、桔梗が主役と言う非常に珍しい枯山水の風景を楽しむことができます。

今回はそんな天得院を訪れてみました。


天得院の歴史

では、まずはじめに天得院の歴史訪問する際に知っておきたいポイントを一緒に見て行きましょう!


天得院の入り口の石碑
天得院-入り口にある寺名を刻んだ石碑

天得院(てんとくいん)は、歴史の動乱が続いた室町初期・南北朝時代の正平年間(1346~1370)頃の創建とされ、東福寺の第三十世住持・無夢一清(むむいっせい)禅師によって開かれました。

この無夢一清さん、中国の元(げん)に約30年も禅の修行に行っていたという超本格派!

この時代の禅僧には親交を深めるために「墨蹟(ぼくせき)」という書を互いに贈り合う風習があり、禅の本場中国から贈られるのは大変名誉だったんだそう。

この無夢一清さん、この墨蹟をなんと生涯9通も贈られたというすごい経歴をお持ちだったんだとか!


天得院のこま札
天得院の歴史を刻むこま札

そんなすごい禅僧が開いた寺院だけあって、創建後すぐに東福寺五塔頭の一つと称され隆盛を極めました。

しかし栄枯盛衰は世の常。

幾度か衰退と復興を繰り返したのですが、江戸時代初期の1614年にお寺を揺るがす大事件が起こります。

それが「方向寺鐘銘事件(ほうこうじしょうめいじけん)」

時は江戸時代の1614年(慶長19年)。

東福寺第二二七世・文英清韓(ぶんえいせいかん)が、この天得院の住持になってすぐのお話。

この文英清韓さんは豊臣秀吉秀頼の豊臣家二代にわたって仕えた禅僧で、漢詩に精通した人物としてその信頼は絶大でした。

豊臣秀吉が没した際、秀頼は文英清韓に秀吉の悲願であった京都の大仏を守護する方広寺(ほうこうじ)の梵鐘に刻む文章の作成を依頼しました。


方広寺の梵鐘
方広寺に吊られる国家安康の梵鐘

そこで作られたのが以下の文章。

「国家安康 君臣豊楽(こっかあんこう くんしんほうらく)」

しかーし!この文章に派手に言いがかりをつけた人物がいました。

はい、それが豊臣家没落の機会を狙っていた徳川家康(とくがわいえやす)です。

家康「国やと?」

家康「おいこの文章、儂の名前を分断しとるやんけ!」

家康「これはあれや。徳川を分断して豊臣を復興させようっちゅう儂への挑戦状やな!」

秀頼「えぇええー、どこの悪質クレーマーなんすか・・・。」

家康「問答無用じゃ!戦じゃー!」

これが理由の一つで、皆さんも良く知る大坂の陣(おおさかのじん)が勃発、豊臣家は滅亡しちゃうんですね。


天得院-戸板に彫られた桔梗紋
天得院-戸板に彫られた桔梗紋

そんな騒動の中、このお寺の住持だった文英清韓も文章を作成した責任を取らされ京都を追放!

当然この天得院も廃寺とされ、取り壊されてしいました・・・。

ようやく復興したのは、江戸時代も後半に差し掛かった1789年(天明9年)のこと。

なんと家康の言いがかりから、175年もの長きに渡り廃寺となっていたんですね・・・。

時の権力者の一言というのは、ホントに怖いものです。

明治時代に入ると本成寺という塔頭を併合することとなり、めでたく現在の規模にまで復興したんだそうです。

教訓「言いがかり!ダメ!ゼッタイ!」

おしまい。

天得院について

天得院は、通常非公開です!

初夏と秋に開催される「特別拝観期間」にのみ一般公開されますので、訪問前にお寺のWebサイトを確認しましょう!


天得院-初夏の特別拝観の看板
天得院-初夏の特別拝観の看板

お寺のWebサイト

お寺の詳細

住所:〒605-0981 京都府京都市東山区本町15-802
連絡先:075-561-5239
創建:正平年間(1346~1370)
開基:無夢一清(むむいっせい)
宗派:臨済宗東福寺派
本尊:千手観音(せんじゅかんのん)

■拝観時間

10:00~16:30(16:00受付終了)

■拝観料

大人 500円
中高生 300円

■その他注意点

・写真/動画撮影可能な場所や一脚/三脚の利用可否は、必ず係員に確認しましょう。

・神社やお寺の正式な参拝方法は以下の記事を参考にしてください。


天得院のパンフレット

では次に、天得院の見どころを訪問時の写真を参考に振り返ってみたいと思います!


天得院の見どころ

「*」のついている見どころは有料エリアです。

山門

天得院の山門

こちらが天得院の入り口にある山門(さんもん)

ちょっと早く着きすぎて、まだ空いていなかったのはご愛敬。(近頃朝一の神社仏閣訪問が趣味になっています。)

しばし近くを散歩しながら開門を待ちました。

慈母観音

天得院の慈母観音

ふと山門の脇を見ると、赤子を抱えた優しい表情の観音様がおられました。

観音菩薩は私たち衆生を救うための様々な表情を持っており、これを「普門示現(ふもんじげん)」と言ったりします。

この慈母観音(じぼかんのん)も、観音様が持つこうした表情の一つですね。

そっと手を合わせつつ開門を待ちます。

方丈*

天得院の方丈01

こちらが天得院の境内、左手に見える建物が方丈(ほうじょう)です。

ちなみに、天得院さんは境内に東福寺保育園を営まれており、現在その半分ほどは保育園の敷地なんですね。


天得院の方丈02

そうこうしていたうちに、拝観の受付が始まりました。

では、さっそく方丈の中へ入ってみたいと思います!


天得院-方丈の扁額

この方丈は、お寺が再興された江戸時代の1789年に再建されたものだそうです。


天得院の方丈03

方丈の一室では、現代芸術家さん達による絵画や工芸品が展示されていました

美術/芸術に触れる機会ってそうそう無いので、こうした取り組みは嬉しいですね。

さてそれではお待ちかね、お寺一番の見どころである方丈庭園に向かいましょう!

方丈前庭*

天得院-方丈前庭01

まずは方丈の客間近くの廊下から、方丈前庭(ほうじょうまえにわ)を眺めてみます。

ほの暗いお部屋から見る庭園の風景、非常に綺麗ですねー!


天得院の方丈前庭02

方丈前庭の全景です。

緑の杉苔の枯山水をキャンバスに、蒼の桔梗の花がとっても良く映えますねー。

色々な庭園を見てきましたが、こうしてお花を全面に押し出した庭園は初めて見ました!


天得院の方丈前庭03

方丈には縁側(えんがわ)のしつらえがあり、座りつつゆっくりのーんびり庭園を楽しむことが出来ました!

方丈西庭*

天得院の方丈西庭

こちらは方丈の西側にある庭園。

こうして、庭園はぐるっと方丈の周囲を囲っており、そのすべての面に縁側のしつらえがありました。

ので、大きさ的には多少手狭ではあったんですが、人が増えてきても座れるスペースがありました。

華灯窓*

天得院の華頭窓01

こちらは、西庭に面する方丈の華灯窓(かとうまど)です。

この窓は禅宗寺院の建築に良く見られる形式で、上部の曲線を花の形に見立てると「華灯窓/花灯窓」、火の形に見立てると「火灯窓」なんて呼んだりもします。


天得院の華灯窓02

いつも思うんですが、日本の昔の建築って、窓から見える景色をとても大切にデザインされますよね。

この窓も、西庭の燈籠を中心とした景色がまるで一枚の絵画のように切り取れる構成なんです。

秋の紅葉シーズンの特別拝観では、この窓からライトアップされた極上の紅葉が拝めるそうですよ!

さて、庭園を十分楽しんだ後は境内をちょっと散策してみました。

荻原井泉水句碑*

天得院の荻原井泉水句碑

山門から方丈に続く道の脇には、小さな白砂庭園の奥に荻原井泉水句碑(おぎわらせいせんすいくひ)がそっと置かれていました。

「石のしたしさよ しぐれけり」

この碑に刻まれるように、定型に囚われない句を生み出し続けた荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)は、明治から昭和にかけての俳人で、俳句雑誌「層雲(そううん)」を主宰していたことでも知られます。

花岡大学童話碑*

天得院の花岡大学童話碑

こちらは保育園の敷地手前にひっそりと佇んでいた、花岡大学童話碑(はなおかだいがくどうわひ)

大学といっても教育機関の名前ではありません。

明治から昭和にかけて活躍した童話作家、僧侶でもあった花岡大学(はなおかだいがく)さんです。

石碑には東福寺保育園の子供たちに贈られた、こんな素敵な童話が刻まれていました。

「お父ちゃんが笑ったときは仏さまの顔だよ」

「お母ちゃんが笑ったときは仏さまの顔だよ」

となると、怒ったときはさしずめ「閻魔さまの顔」でしょうか・・・w

お後がよろしいようで。

以上、天得院の見どころでした!

天得院の桔梗

天得院は、別名「桔梗の寺」と呼ばれるほどの桔梗の花の名所です。

桔梗は、初夏の特別拝観時に見ることができます!

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天得院で撮影した動画

天得院で撮影した写真

Tentoku-in Temple (Higashiyama Ward, Kyoto):天得院(京都市東山区)


天得院の御朱印

天得院の御朱印

天得院の御朱印は、ご本尊の千手観音(せんじゅかんのん)の墨文字に、お寺のシンボルである桔梗紋(ききょうもん)の朱印です。

天得院への行き方/アクセス方法

天得院の最寄り駅は、京阪電車/JR東福寺駅です。(京阪とJRの駅は隣接しています。)

駅からは徒歩15分(700m)程度です。

京都駅や祇園四条駅、阪急河原町駅からバスでも行けますが渋滞や混雑を考えると電車がおすすめです。


大阪駅からのルート例(電車)

乗換え案内サイト

①JR京都線で「大阪駅」から「京都駅」へ行き、JR奈良線に乗り換え。

②JR奈良線で「京都駅」から「東福寺駅」へ。

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なんば駅からのルート例(電車)

乗換え案内(電車)

①大阪メトロ御堂筋線で「なんば駅」から「梅田駅」へ行き、JR京都線に乗り換え。

②JR京都線で「大阪駅」から「京都駅」へ行き、JR奈良線に乗り換え。

③JR奈良線で「京都駅」から「東福寺駅」へ。

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京都駅からのルート例(電車)

乗換え案内(電車)

①JR奈良線で「京都駅」から「東福寺駅」へ。

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「東福寺駅」からの徒歩ルート例

JR東福寺駅から天得院までは約700m、徒歩15分です。


京都駅からバスで行く場合

乗換え案内(バス)

「京都駅前 乗り場D2」から「京都市バス208系統」に乗車、「東福寺」で下車。

バス会社:京都市バス
行先・系統:208系統[泉涌寺・東福寺行き] 
乗車バス停:京都駅前[乗り場D2]
降車バス停:東福寺
運賃:230円
所要時間:約15分

■208系統[泉涌寺・東福寺行き] の時刻表


河原町駅からバスで行く場合

乗換え案内(バス)

「四条河原町 乗り場E東行き」から「京都市バス207系統」に乗車、「東福寺」で下車。

バス会社:京都市バス
行先・系統:207系統[清水寺・東福寺行き] 
乗車バス停:四条河原町[乗り場E東行き]
降車バス停:東福寺
運賃:230円
所要時間:約19分

■207系統[清水寺・東福寺行き] の時刻表


祇園四条駅からバスで行く場合

乗換え案内(バス)

「四条京阪前 乗り場2東行き」から「京都市バス207系統」に乗車、「東福寺」で下車。

バス会社:京都市バス
行先・系統:207系統[清水寺・東福寺行き] 
乗車バス停:四条京阪前[乗り場2東行き]
降車バス停:東福寺
運賃:230円
所要時間:約17分

■207系統[清水寺・東福寺行き] の時刻表


タクシーを使う場合

京都駅から:約1100 (約10分)

河原町駅/祇園四条駅から:約1500円(約15分)

・タクシー運転手に行き先を告げたい場合

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・タクシーを呼びたい場合

taxi-call

・タクシー配車連絡先(京都駅周辺)


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いかがでしたか?

それでは楽しい旅を!( *´艸`)