二尊院(にそんいん)は京都市右京区にある天台宗の寺院で、正式名称を「小倉山二尊教院華台寺(おぐらやまにそんきょういんけだいじ)」と言います。
「足曳きの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を 祈るこの寺(ひとりかも寝む)」
「小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)」の3番歌、三十六歌仙が一人・柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)によって詠われた和歌を元に、仏様への確たる信仰を表すご詠歌を持つこのお寺。
境内には小倉百人一首を選定した地とされる藤原定家(ふじわらのさだいえ)の別荘「時雨亭(しぐれてい)」の跡地が遺されるなど、「小倉百人一首選定の地」の一つとしても親しまれています。
そんな二尊院の見どころは、「発遣の釈迦如来と来迎の阿弥陀如来の二尊」!
寺名の由来でもある両仏は、本堂にて柔和な笑みをたたえながら私たちを見守っています。
また、「紅葉の馬場」の名を持つ境内の参道は秋の紅葉の名所としても知られます。
今回はそんな二尊院を訪れてみました。
二尊院の歴史
では、まずはじめに二尊院の歴史と覚えておきたいポイントを一緒に見て行きましょう!
二尊院の歴史は古く、その起こりは平安時代の841年(承和8年)に遡ります。
当時の嵯峨天皇(さがてんのう)はこの風光明媚な嵯峨嵐山の地を好み、自身の離宮である「嵯峨御所(さがごしょ)」を建てて晩年を過ごしました。
(ちなみに御所はその後お寺となり、それが現在の大覚寺(だいかくじ)です。)
このお寺は、そんな嵯峨天皇の「自身の御所近くに仏事を司るお寺を建立したい!」との勅願により、当時の天台宗トップであった慈覚大師・円仁(えんにん)により建立されました。
創建当初より釈迦如来と阿弥陀如来の「二尊(にそん)」を祀るため、「二尊教院華台寺(にそんきょういんけだいじ)」という名で歴史を紡ぎ、近年はその名を短縮した「二尊院(にそんいん)」の名で親しまれています。
お寺の名前にもなっている釈迦如来(しゃかにょらい)と阿弥陀如来(あみだにょらい)の「二尊(にそん)」。
ご本尊が一つのお寺さまや、各お堂に色々なご本尊がおられるお寺さまは多いですが、この二尊院では本堂に二つのご本尊が仲良く並び同時に拝むことが出来ます。
とても珍しい光景なのですが、なぜこのようになっているのでしょうか?
それを紐解くキーワードが「発遣来迎(はっけんらいこう)」。
これは浄土宗の経典の一つである「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」にも描かれる情景の一つです。
「発遣」とは、極楽浄土への往生を目指す私たちを釈迦如来が導き送り出してくれること。
「来迎」とは、そんな往生を目指す私たちを阿弥陀如来が浄土から迎えにきてくれること。
はい、私たちが世にいう「極楽浄土(ごくらくじょうど)」へ行くにはこの二尊の送り迎えが必要なんですね!
だからこそ、この二尊院では「発遣の釈迦」と「来迎の弥陀」の二尊が仲良く並び祀られているという訳です。
ちなみに、両方の仏像を一度に拝める場所は京都広しと言えどそうはありません。
知る限り、この二尊院と鷹峯にある遣迎院(けんごういん)ぐらいじゃないでしょうか?
そんなレアな空間がこの二尊院にはありますので、ぜひ実際に行って拝んでくださいね!
閑話休題。
古来よりこの二尊院は、天台宗・真言宗・律宗・浄土宗の四つの宗派の教義を学ぶ「四宗兼学(ししゅうけんがく)」の道場として栄えました。
そのため、鎌倉時代には天台宗を学んだうえで浄土宗を興した法然(ほうねん)の修行の地となり、その後数多くの天皇や皇族・貴族からの信仰を集め栄華を極めたと言います。
しかし、室町時代に入ると1467年に勃発した応仁の乱(おうにんのらん)で境内は荒廃。
ただ、先述のとおり皇室や貴族からの信仰が厚かったため、三条西家の当主であり浄土宗を厚く信仰していた三条西実隆(さんじょうにしさねたか)により復興されます。
江戸時代には幕府の庇護を受けて寺領を拡大、明治時代に入ると廃仏毀釈などの影響なのでしょうか、四宗兼学を改め天台宗の専修寺院となり現在に至ります。
まとめ「極楽浄土へ行きたければ、まずは二尊院に行きましょう!」
おしまい。
二尊院について
お寺の詳細
住所 | 〒616-8425 京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27 |
連絡先 | 075-861-0687 |
創建 | 841年/平安時代 |
開基 | 円仁(えんにん) |
宗派 | 天台宗(てんだいしゅう) |
ご本尊 | 釈迦如来(しゃかにょらい)/阿弥陀如来(あみだにょらい) |
拝観時間
9:00~16:30
拝観料
中学生以上 | 500円 |
小学生以下 | 無料 |
お寺のWebサイト
その他注意点
・本記事の情報は2019年3月に訪れた際のものであり、変更されている可能性があります。
・写真/動画撮影可能な場所や、一脚/三脚の利用可否は必ず係員に確認しましょう。
・神社やお寺の正式な参拝方法は以下の記事を参考にしてくださいね。
では次に、二尊院の見どころを訪問時の写真を参考に振り返ってみたいと思います!
二尊院の見どころ
- 総門
- 紅葉の馬場*
- 西行法師庵の跡*
- 黒門*
- 勅使門*
- 竜神遊行の庭*
- 本堂*
- 寂光園*
- 御園亭*
- 六道六地蔵の庭*
- 位牌堂*
- 弁天堂*
- 鐘楼/しあわせの鐘*
- 湛空廟/法然上人廟*
- 時雨亭跡*
- 旧三帝陵*
- 八社ノ宮*
- 角倉了以像*
- 小倉餡発祥之地の石碑*
- 四季庵
「*」のついている見どころは、有料エリアです。
二尊院の最寄り駅は嵐山(あらしやま)駅です。
阪急の嵐山駅からは徒歩約40分(約2km)、嵐電の嵐山駅やJR嵯峨嵐山駅からは徒歩約20分(約1km)です。
今回私は阪急の嵐山駅から徒歩で向かいました。
行き方は「二尊院への行き方/アクセス方法」で詳しく説明していますのでご覧くださいね。
歩くこと約40分、二尊院の総門が見えてきました。
二尊院の入り口である総門前には、約10台駐車できる無料の駐車場と駐輪場があります。
ただ途中の道が細かったり混雑することも多いため、できれば車での訪問は避けレンタサイクルや徒歩で行かれることをおすすめします。
では早速境内の中にお邪魔してみたいと思います!
総門
まず境内の入り口にどどん!と構えているのが、この重厚な総門(そうもん)です。
伏見城(ふしみじょう)にあった室町時代建立の薬医門を、江戸時代初期の1613年にこの地に移築したもので、京都市指定・登録文化財になっています。
移築には、賀茂川のほとりを流れる水路である高瀬川(たかせがわ)を作ったことで有名な豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)が携わったそうです。
また、歴代天皇の位牌が奉じられているため現在の上皇様ご夫妻が来られた場所でもあり、その記念の石碑も建てられていますね。
紅葉の馬場*
総門から一歩境内に入ると、そこは嵐山の喧騒からはまるで別世界。
お寺の中心部まで続く境内の参道の両脇にはモミジの木が植えられ、拝観者を出迎えてくれていました!
この一直線に伸びる参道は馬を引いて拝観するための馬場として使われていたそうで、秋になると両端のモミジが見事に色づくため、紅葉の馬場(もみじのばば)という名でも知られる紅葉の名所です。
西行法師庵の跡*
「我がものと 秋の梢(こずえ)を 思ふかな 小倉の里に 家居せしより」
この小倉の地に住んでからは、この素晴らしい秋の紅葉の風景すら自分のものなんだなぁとしみじみ思っちゃうよ!
西行法師(さいぎょうほうし)は、かの松尾芭蕉(まつおばしょう)も心の師と仰いだほどの平安時代から鎌倉自体にかけての大歌人。
参道の左手には、そんな句を詠んだ時代に住んだとされる庵の跡が遺されていました。
「小倉百人一首選定の地」とされる小倉山、古よりこの地には歌人を惹きつける風景があったんでしょうね。
黒門*
紅葉の馬場を抜けると境内との境には長い筋塀(すじべい)が築かれており、天皇や皇族との深い関係を示す最高格式の5本線が引かれています。
その筋塀の間に通用口として築かれている小さな門が、黒門(くろもん)です。
こちらから境内に入ることも出来ますが、あくまで通用口なので正式な入り口である勅使門へ向かいましょう!
勅使門*
筋塀沿いにさらに境内を進むと、正式な入り口である勅使門(ちょくしもん)が見えてきました!
応仁の乱で境内が荒廃したのち、室町時代の1521年に三条西実隆(さんじょうにしさねたか)がこのお寺を再興した際、本堂と共に寄進されたものです。
その名の通り天皇や皇族の遣いである勅使(ちょくし)だけが通ることを許された門であり、通常は「開かずの門」となっていることが多くこうして堂々と勅使門から入場できるお寺さまは何気に珍しいですね!
竜神遊行の庭*
勅使門から境内の奥に進むと本堂手前に竜神遊行の庭(りゅうじんゆぎょうのにわ)と呼ばれる、低い竹垣に囲われた白砂に苔の島と木々が一体となっているお庭が見えてきます。
その昔この地に住んでいた竜女という竜王の娘が、説法により当時は「女性は仏にはなれない」とされていた事を覆し成仏したさまを表現しているんだとか。
上記は法華経にて説かれる物語・竜女成仏(りゅうにょじょうぶつ)の一節です。
良く見ると、取り囲む低い垣根は竜の胴体のようにも見えますね!
本堂*
竜神遊行の庭の正面には、重厚な本堂(ほんどう)がどどん!と鎮座しています。
先ほどの勅使門と同じく、室町時代の1521年に三条西実隆(さんじょうにしさねたか)がこのお寺を再興した際に寄進されたもので、京都市指定・登録文化財になっています。
因みに、御朱印はこの本堂の左手にある受付にて頂くことが出来ます。
本堂内部では、この二尊院の象徴である釈迦如来(しゃかにょらい)と阿弥陀如来(あみだにょらい)の「二尊」が祀られています!
いずれ鎌倉時代末期の仏師・快慶(かいけい)の作される左右対称の珍しい如来像で、国の重要文化財にも指定されています。
向かって右側が釈迦如来、左側が阿弥陀如来ですが、目利きではない私にはぱっと見何が違うのかは分かりませんでした。
ということで、「とにかく極楽浄土に行けますように!」とお祈りさせて頂きました。(笑)
本堂に掲げられている扁額の「二尊院」の文字は、お寺の再興を祝して当時の天皇であった後奈良天皇(ごならてんのう)直々にしたためたものなんだとか。
また、この本堂は板敷きで囲われた外陣にある廊下を伝ってぐるりと一周することが出来ます!
寂光園*
本堂を時計回りに進むと、方角的には本堂の南側にこの寂光園(じゃっこうえん)が見えてきます。
白砂の海原に苔の大地と石の島、小さくもとても綺麗にまとまった枯山水庭園ですね。
それもそのはず、この光景は二尊院の一尊である阿弥陀如来が住むとされる極楽浄土を表現しているんだとか!
御園亭*
本堂と寂光園を挟んだ先にある建物は、茶室の御園亭(みそのてい)です。
「御園」が「御所の庭」を指し示す通り、この建物は御所にあった後水尾天皇の第六皇女・賀子内親王(よしこないしんのう)の御化粧之間がここに移築されたものです。
通常は非公開ですが、春と秋の特別期間にのみ茶席の接待が催されるんだとか。
私はまだこの茶席には伺えたことは無いですが、機会があれば是非寄らせて頂きたいと思っています。
六道六地蔵の庭*
本堂の廊下を進んでいくと、次に見えてくるのがこの六道六地蔵の庭(ろくどうろくじぞうのにわ)です。
丁度本堂の真裏にあたるこのお庭は、その全体が「小倉百人一首」の名前にも付けられている小倉山(おぐらやま)の麓にあたります。
そんな小倉山の斜面そのままに作られたお庭には、六体の地蔵菩薩(じぞうぼさつ)が置かれています。
「六道(ろくどう/りくどう)」は、私たちが死後いずれかに転生するとされる「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」という六つの世界。
いわゆる輪廻転生(りんねてんせい)はこの六つの世界から抜け出せないことを指し、仏教ではここから抜け出す=解脱(げだつ)するのが目標の一つなんですよね。
ただし抜け出すことは簡単ではなく、ほとんどの人は未来永劫ぐるぐると六道を彷徨うことに。
「六地蔵(ろくじぞう)」はそんな六道を彷徨いもがく人たちを極楽浄土へ救済する地蔵菩薩であり、このお庭ではそんな六道の風景と救済の六地蔵を表現しているんだとか。
位牌堂*
本堂の北側には、位牌堂(いはいどう)が佇んでいます。
このお寺は江戸時代まで京都における皇室の仏事が行われていたそうで、位の高いお歴々の位牌がここに納められていたんだとか。
これで本堂をぐるりと一周しましたので、靴を履きなおして境内の散策を続けたいと思います!
弁天堂*
位牌堂の右手に位置する建物が、弁天堂(べんてんどう)です。
「竜神遊行の庭」の項目でも書いた通り、このお寺にはその昔竜女が説法により成仏したという故事があります。
そんな「竜女」との関連性から、このお堂では竜の姿をした弁財天の化身である九頭竜弁財天(くずりゅうべんざいてん)が祀られています。
鐘楼/しあわせの鐘*
弁天堂からさらに右手に進むと、安土桃山時代から江戸時代にかけての慶長年間(1596年~1615年)に建立された鐘楼(しょうろう)が見えてきます。
「しあわせの鐘」と名付けられているこの梵鐘は、以下の祈願をしながら3度撞きましょう!
①「自分が生かされている幸せへの祈願」
②「自分の周りの生きとし生けるもの全てへの感謝」
③「世界人類の幸せへの祈願」
そうすることで、自分は元より全ての人たちに幸せが行き渡るんだとか。
湛空廟/法然上人廟*
弁天堂と鐘楼の間には、境内の一段高い場所に登るための石階段があります。
少し長めの階段ですが、頑張って上ってみましょう!
石階段を上った先の境内の一番高い場所には、湛空廟(たんくうびょう)が佇んでいました。
この二尊院の第三世住持であり、土御門天皇(つちみかどてんのう)や御嵯峨天皇(ごさがてんのう)に戒律を授けたとされる湛空上人(たんくうじょうにん)の碑が祀られています。
浄土宗の開祖・法然(ほうねん)の遺骨の一部も納められていることから、法然上人廟(ほうねんしょうにんびょう)とも言われます。
時雨亭跡*
湛空廟から左手にある細い山道を少し歩くと、少し開けた場所に建物を支えていた石の台座があります。
ここは、あの小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)を選定したとされる藤原定家(ふじわらのさだいえ)の別荘であった時雨亭(しぐれてい)の跡地と言われています。
ちなみに藤原定家の別荘は「小倉山荘」とも呼ばれ、この二尊院だけではなく近辺の厭離庵(えんりあん)や常寂光寺(じょうじゃっこうじ)にもその跡らしきものがあります。
「どれが本物の跡地なんだ!」と言うよりも、藤原定家はこの風光明媚な小倉山の麓にいくつか山荘を建てて、そこでゆっくりと歌を選定したんだろうなという考え方がしっくりくるかと思います。
旧三帝陵*
時雨亭跡から来た道を引き返し湛空廟から今度は右手に進んでいくと、旧三帝陵(きゅうさんていりょう)が見えてきます。
ここには、この二尊院と関わりが特に深かった三人の天皇の遺骨が分骨されています。
看板にある通り、向かって右側の十三重石塔には土御門天皇(つちみかどてんのう)、真ん中の五重石塔には後嵯峨天皇(ごさがてんのう)、左側の宝篋印塔には亀山天皇(かめやまてんのう)が眠っておられるんだとか。
理由は不明ですが、それぞれの時代を表すのでしょうか全く異なった形状のお墓になっているのが印象的ですね。
八社ノ宮*
旧三帝陵から境内の山道をぐるりと下に向かって下りて行くと、八社ノ宮(はっしゃのみや)が見えてきます。
本堂や勅使門と同じ室町時代にこのお寺が再建された当時から残る古いお宮で、「伊勢神宮」「松尾大社」「愛宕神社」「石清水八幡宮」「熱田神宮」「日吉神社」「八坂神社」「北野天満宮」の分霊を祀ります。
ここは境内の北東の方角・鬼門(きもん)に位置するため、それを鎮めるために八社もの御霊が祀られてるんですね。
角倉了以像*
境内をぐるりと回りこむと丁度鐘楼の手前に戻ってくることになり、そこには険しい顔をしてつるはしを持つ角倉了以像(すみのくらりょういぞう)が佇んでいます。
この角倉了以はこの二尊院の総門を寄進した人物であり、京都の町の発展に欠かせない貢献もされています。
彼はいわゆる朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)により主にベトナムとの交易で財を成した人物で、そこで儲けた私財を投げうって、京都に水運業を根付かせるための運河をいくつも作ったすごい人。
あの有名な京都の花街・先斗町(ぽんとちょう)の横を流れる高瀬川(たかせがわ)も、実はこの角倉了以が手掛けたものです。
この像にはそんな運河などを作った功績を称えるために、つるはしを持っているんですね。
小倉餡発祥之地の石碑*
角倉了以像の近くにある広場には、この小倉山の麓が「小倉餡発祥之の地」であることを示す石碑が置かれています。
「小倉あん」と言えば今や名古屋の喫茶店にある「小倉トースト」を想像してしまいますが、その発祥の地はここだったんですね。
発祥のエピソードを簡単にまとめるとこんな感じです。
真言宗の開祖である弘法大師・空海(くうかい)が平安時代に中国から通常より大きめの小豆の種を持ち帰ることに成功!
その種がこの小倉山の麓に伝わり、「大納言小豆」と称される良質の小豆の栽培が開始!
この地に住んでいた和三郎(わさぶろう)という菓子職人が、そんな大納言小豆をより美味しく食べられる名産品にしたい想いで甘く煮て、餡にすることに成功!
この地の名産品として「小倉餡(おぐらあん)」と名付けられ、日本中で大ヒット!
てことで、今の日本で美味しい「小倉トースト」が食べられるのも、元をたどれば空海さんと和三郎さんのお陰なんですよ!感謝!
四季庵
そんなこの地が発祥であり名産品の「小倉餡」は、二尊院の入り口にある「小倉茶店 四季庵(しきあん)」さんで、「小倉大納言ぜんざい」として頂くことが出来ます。
詳しい情報は食べログをご覧ください。(笑)
はい、これで二尊院さんの主な見どころを全て見ることが出来ました!
訪問の感想としては、やはり左右対称に作られたご本尊の釈迦如来と阿弥陀如来の二尊がとても印象的でした。
それほど大きな像ではないのですが、2体が対となって祀られていることによって不思議と像の大きさ以上の存在感があるように感じられました。
また境内は桜や紅葉の時期以外は比較的空いており、毎日大混雑の嵐山においてゆっくりと昔ながらの京都のお寺の荘厳な雰囲気を楽しめました。
皆さんも是非行ってみてくださいね!
二尊院の紅葉
この二尊院は、秋の紅葉の名所としても知られています。
特に境内入口にある「紅葉の馬場」では、毎年美しい紅葉を拝むことが出来ますよ!
紅葉の見ごろは、毎年11月下旬から12月上旬です。
二尊院の動画
二尊院の写真
二尊院の御朱印
この二尊院では、ご本尊の二尊をあらわす「本尊二尊(ほんぞんにそん)」と、境内にある「九頭龍弁財天(くずりゅうべんざいてん)」の御朱印を頂きました。
御朱印は、本堂横にある受付にて頂くことが出来ます。(各300円)
二尊院への行き方/アクセス方法
最寄り駅は阪急嵐山線 嵐山(あらしやま)駅、嵐電 嵐山(あらしやま)駅、JR嵯峨野線(山陰本線) 嵯峨嵐山(さがあらしやま)駅です。
大阪駅(梅田駅)からは「阪急嵐山線 嵐山駅」、京都駅からは「JR山陰本線 嵯峨嵐山駅」の利用が便利です。
また京都駅や京都河原町駅、祇園四条駅からバスで行くことも出来ますが、嵐山駅の渋滞にはまる可能性があるので、なるべく電車で行かれることをお勧めします。
大阪梅田駅から嵐山駅へのルート例(電車)
①阪急京都線で「大阪梅田駅」から「桂駅」へ行き、阪急嵐山線に乗り換え。
②阪急嵐山線で「桂駅」から「嵐山駅」へ。
なんば駅から嵐山駅へのルート例(電車)
①大阪メトロ御堂筋線で「なんば駅」から「梅田駅」へ行き、阪急京都線に乗り換え。
②阪急京都線で「大阪梅田駅」から「桂駅」へ行き、阪急嵐山線に乗り換え。
③阪急嵐山線で「桂駅」から「嵐山駅」へ。
京都駅から嵯峨嵐山駅へのルート例(電車)
①JR嵯峨野線(山陰本線)で「京都駅」から「嵯峨嵐山駅」へ。
嵐山駅からの徒歩ルート例
阪急の嵐山駅からは徒歩約40分(約2km)、嵐電の嵐山駅やJR嵯峨嵐山駅からは徒歩約20分(約1km)です。
京都駅からバスに乗る場合
「京都駅前 乗り場C6」から京都市バス「28系統」に乗車、「嵯峨小学校前」で下車。
バス会社:京都市バス
行先・系統:28系統[嵐山・大覚寺行き]
乗車バス停:京都駅前[乗り場C6]
降車バス停:嵯峨小学校前
運賃:230円
所要時間:約48分
京都河原町駅からバスに乗る場合
「四条河原町 乗り場D」から京都市バス「11系統」に乗車、「嵯峨小学校前」で下車。
バス会社:京都市バス
行先・系統:11系統[嵐山・嵯峨・山越行き]
乗車バス停:四条河原町 乗り場D
降車バス停:嵯峨小学校前
運賃:230円
所要時間:約47分
祇園四条駅からバスに乗る場合
「四条京阪前 乗り場C」から京都市バス「11系統」に乗車、「嵯峨小学校前」で下車。
バス会社:京都市バス
行先・系統:11系統[嵐山・嵯峨・山越行き]
乗車バス停:四条京阪前 乗り場C
降車バス停:嵯峨小学校前
運賃:230円
所要時間:約50分
タクシーで行く場合
京都駅から:約5,000円(約30分)
嵐山駅から:約1,000円(約10分)
・タクシー運転手に行き先を告げたい場合
・タクシーを呼びたい場合
・タクシー配車連絡先(京都駅周辺)
・タクシー配車連絡先(嵐山駅周辺)
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いかがでしたか?
それでは楽しい旅を!