比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)は、滋賀県大津市にある天台宗(てんだいしゅう)の寺院です。
「国宝とは何者ぞ、宝とは道心(どうしん)なり。」
国家における本当のお宝とは、仏さまを信じる心である。
伝教大師・最澄(さいちょう)が中国より伝え日本仏教の歴史を動かす数々の名僧が、この教えに従い学んだこの天台宗は「日本仏教の母山」とも呼べる存在。
延暦寺はそんな天台宗の総本山であり、京都の鬼門を鎮護する霊峰・比叡山(ひえいざん)を境内としています。
そんな延暦寺の見どころは、「雄大な比叡山の全域に位置する広大な境内」!
100を超えるお堂を構える境内は、何と東京ドーム約360個分(1700ha)。
その規模や歴史的価値から、「古都京都の文化財」の一部として世界遺産にも登録されています。
今回はそんな比叡山延暦寺を訪れてみました。
比叡山延暦寺の歴史
では、まずはじめに比叡山延暦寺の歴史と覚えておきたいポイントを一緒に見て行きましょう!
まず初めに、天台宗やこの延暦寺が日本仏教の「母山」や「総合大学」と呼ばれる理由を歴史から学んでみましょう。
天台宗の宗祖である伝教大師・最澄(さいちょう)が東大寺(とうだいじ)によって僧侶として認められたのは、奈良時代の785年(延暦四年)のこと。
その3年後の788年、修行のため比叡山に入った最澄は本尊の薬師如来(やくしにょらい)を刻むとともに、この地に一乗止観院(いちじょうしかんいん)というお堂を建立します。
このお堂こそが、延暦寺の前身となる建物。
最澄はここで中国の唐からやってきた僧・鑑真(がんじん)によってもたらされた本場中国の仏教経典の研究に没頭!
そんなこんなで本場中国の仏教への想いが募った最澄は、804年に遣唐使(けんとうし)の一員として念願の唐へ渡ることに。
結果、根本の教えとなる「法華経」や「密教」だけではなく、修行の在り方や思想の一つである「禅」や「念仏」など、仏教の幅広い教えと可能性を中国の唐から学び日本に持ち帰ることに成功します。
最澄が持ち帰ったこれら四つの要素は、総じて「四宗兼学(ししゅうけんがく)」と呼ばれます。
そのため、天台宗及び延暦寺はその後「仏教を総合的に学べる宗派」として大人気に!
それが証拠に、念仏を重視する浄土宗の法然(ほうねん)や浄土真宗の親鸞(しんらん)、禅の行を重視する臨済宗の栄西(えいさい)や曹洞宗の道元(どうげん)、法華経を重視する日蓮宗の日蓮(にちれん)といった各宗派の開祖たちは、若かりし頃その全員が延暦寺で学んだ僧。
彼らは最澄が持ち帰った四宗兼学の教えを元にして、各々の考えや解釈を合わせ新しい宗派を生み出したんですね。
これが、この延暦寺が日本仏教における「母山」や「総合大学」と言われる大きな理由です!
その後、最澄が無くなった翌年の823年にその功績を称え、創建時の元号であった「延暦」の文字を取り「延暦寺(えんりゃくじ)」という名前になりましたとさ。
閑話休題。
比叡山延暦寺と言えば、歴史上切っても切り離せないキーワードがもう一つあります。
それが「過激な武装集団」。
仏教の総合大学としての地位を築いた延暦寺はその勢力も強大で、武装化した僧兵により朝廷や幕府などの権力から独立した勢力であった歴史を持ちます。
その期間は、何と平安時代から室町時代後期に至る約500年間!
延暦寺はその内外に問題が起こると、その一部を自慢の武力により解決してきた歴史を持つんですね。
一例を挙げると…、
平安時代の天台宗内部の勢力争いである「山門寺門の抗争(さんもんじもんのこうそう)」。
鎌倉時代の延暦寺と浄土宗の宗教対立である「承元の法難(じょうげんのほうなん)」。
これらはいずれも延暦寺の強大な権力と武力が要因で生じた事件です。
そんな延暦寺の強大さを物語る言葉が、強力な院政で平安時代の京都を支配していた白河天皇(しらかわてんのう)のこの言葉。
「賀茂河の水(みず)、双六の賽(さい)に山法師(やまぼうし)、これぞ我が心にかなわぬもの。」
ここで言われている「山法師」は、延暦寺の僧兵の事。
「延暦寺の僧兵」は「賀茂川の氾濫」や「すごろくの出目」と同じくらいどうしようもないぞ!と思われていたんですね…。
恐るべし、比叡山延暦寺!
そんな延暦寺ですが、その武力を失うきっかけになったのもまた、武力によるものだったことは皮肉なものです。
それが戦国時代の1571年に生じた、織田信長(おだのぶなが)による「比叡山焼き討ち」!
比叡山の武装化を許さなかった信長により、延暦寺は完膚なきまでに破壊され武装勢力としての歴史にピリオドを打つことになったんです。
このため、現在この延暦寺にある建物は全てこの焼き討ち以降に再建されたものなんですね。
まさに仏教における「因果応報(いんがおうほう)」を自ら体現してしまった皮肉な結末!
その後は本来の修行道場に立ち返った延暦寺、豊臣秀吉(とよとみひでよし)や徳川家康(とくがわいえやす)などの庇護を受けて再興し、現在に至ります。
教訓「自身の行いは巡り巡って自身に返ってくるので注意!まさに因果応報!」
おしまい。
比叡山延暦寺について
お寺の詳細
住所:〒520-0116 滋賀県大津市坂本本町4220
連絡先:077-578-0001
創建:788年
開基:最澄(さいちょう)
宗派:天台宗(てんだいしゅう)
ご本尊:薬師如来(やくしにょらい)
拝観時間
東塔地区 | 西塔・横川地区 | |
3月~11月 | 8:30~16:30 | 9:00~16:00 |
12月 | 9:00~16:00 | 9:30~15:30 |
1月~2月 | 9:00~16:30 | 9:30~16:00 |
拝観料(2020年2月末日まで)
共通券(東塔・西塔・横川) | 国宝殿(宝物館) | |
大人 | 700円 | 500円 |
中高生 | 500円 | 300円 |
小学生 | 300円 | 100円 |
拝観料(2020年3月1日から)
共通券(東塔・西塔・横川) | 国宝殿(宝物館) | |
大人 | 1,000円 | 500円 |
中高生 | 600円 | 300円 |
小学生 | 300円 | 100円 |
その他注意点
・上記情報は2017年4月に訪れた際のものであり、変更されている可能性があります。
・写真/動画撮影可能な場所や、一脚/三脚の利用可否は必ず係員に確認しましょう。
・神社やお寺の違いや正式な参拝方法は以下の記事を参考にしてくださいね。
ここからは比叡山延暦寺の見どころを、各地区別に訪問時の写真を参考に振り返ってみたいと思います!
比叡山延暦寺を徒歩で巡る際の注意点
比叡山延暦寺はとても広く、その境内は「東塔(とうどう)」、「西塔(さいとう)」、「横川(よかわ)」の3つの地区に分かれています。
私は坂本ケーブル(比叡山鉄道線)を使い朝一に訪問、延暦寺の境内はシャトルバスは使わずに全て徒歩で巡りました。
「東塔」から「西塔」へは約800m(徒歩約15分)、「西塔」から「横川」へは約4km(徒歩約70分)かかりました。
各地区へのルートは「東海自然歩道」という山道を歩くことになるので、動きやすい服装や履物、飲み物を準備していきましょう。
また、その道中は少し分かりずらい道があるためできれば慣れている人と一緒に行きましょう。
(私は道を間違えて、何度か自動車専用道路に出てしまいました。…苦笑。)
また、徒歩で巡った場合は全て見て回るのにほぼ一日かかりましたので、時間に余裕を持って訪問されることをお勧めします!
気候が良い晴れの日は、ぜひ徒歩での散策にもチャレンジしてみてください!
逆に寒い冬や雨の日、遅い時間に訪問した場合は無理をせずにシャトルバスを利用しましょう。
(特に冬の比叡山は、かなり積雪するので大変危険です。)
バスは「東塔」から「横川」まで約10分で結んでいるので、とっても便利ですよ。
(御朱印は、シャトルバスの利用で行ける場所で全て頂くことが出来ます。)
比叡山延暦寺の見どころ(東塔地区)
- 根本中堂【国宝】*
- 文殊楼【重要文化財】*
- 大黒堂*
- 萬拝堂*
- 大書院*
- 延暦寺会館/正覚院不動*
- 法然堂*
- 星峯稲荷社*
- 鐘楼*
- 大講堂【重要文化財】*
- 前唐院*
- 瑞雲院*
- 国宝殿*
- 戒壇院【重要文化財】*
- 阿弥陀堂*
- 法華総持院東塔*
「*印」のついている見どころは有料エリアです。
今回私は、滋賀県側の「坂本ケーブル(比叡山鉄道線)」から延暦寺に向かいました。
坂本ケーブルの終点である「ケーブル延暦寺駅」から歩くこと約10分で「東塔(とうどう)」の入り口が見えてきます。
入り口で「巡拝券」を購入して、早速境内にお邪魔したいと思います!
この巡拝券は各エリア共通券になっているため、どこの入り口で購入しても東塔、西塔、横川の全エリアを見て回ることが出来ます。
ただし、東塔にある「国宝殿」は別料金なのでこちらにも入場したい場合は「セット券」を購入しましょう!
根本中堂【国宝】*
入り口を抜けた広場の先には、国宝である根本中堂(こんぽんちゅうどう)の石碑が佇んでいました。
この場所こそが、最澄(さいちょう)が延暦寺の前身となる一乗止観院(いちじょうしかんいん)を創設し、天台宗の起こりとなった場所ですね。
では、根本中堂に近づいてみたいと思います。
この根本中堂は、江戸時代の1642年に徳川幕府三代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進により再建されたもの。
現在は2016年から10年かけての大修理の真っ最中で、私が訪れた際はまだ外装や内部が公開されて中に入ることも出来ました。
訪れるタイミングによっては、今後外装や内部が拝観できないことがあるかもしれません。
根本中堂の御朱印は薬師如来を祀る建物を表す「醫王殿(いおうでん)」で、根本中堂の入り口(工事中は萬拝堂)で頂くことが出来ます。
文殊楼【重要文化財】*
根本中堂より東側に建つ、ひと際大きな門のような建物が重要文化財の文殊楼(もんじゅろう)です。
この東塔地区の入り口に立つ山門(さんもん)としての役割を持つ建物で、江戸時代の1668年に火災で焼失の後に再建されたものです。
二階建ての楼閣風の建築様式で、上層部に文殊菩薩(もんじゅぼさつ)を祀ることから文殊楼と呼ばれています。
文殊楼の御朱印はご本尊の「文殊菩薩(もんじゅぼさつ)」で、文殊楼の横にある納経所で頂くことが出来ます。
大黒堂*
文殊楼の手前にある広場に佇む建物が、大黒堂(だいこくどう)です。
内部には金運や財運、出世運を司る三面大黒天(さんめんだいこくてん)を祀り、かの豊臣秀吉(とよとみひでよし)がこの三面大黒天を念持仏としていたことから、出世大黒天(しゅっせだいこくてん)とも呼ばれます。
平安時代に最澄がこの比叡山の地で大黒天を見てから、ここが日本における大黒天信仰の発祥の地になったんだとか!
大黒堂の御朱印はご本尊の「大黒天(だいこくてん)」で、堂内で頂くことが出来ます。
萬拝堂*
大黒堂の対面にある新しい建物が、萬拝堂(まんはいどう)です。
日本全国にある神社仏閣のあらゆる神様や仏様をここに勧請していることからこの名前がついたんだとか。
お堂の左手にある建物は休憩所で、自由に休憩ができるようになっていました。
萬拝堂の御朱印は観音菩薩を指し示す「大悲殿(だいひでん)」で、堂内の納経所で頂くことが出来ます。
大書院*
萬拝堂や大黒堂がある広場から伸びる通路を下っていくと、右手に大書院(だいしょいん)が見えてきます。
境内に天皇の御幸に対応できる建物が無かったため、昭和天皇(しょうわてんのう)が即位された際に迎賓館として用意された建物なんだとか。
延暦寺会館/正覚院不動*
大書院の入り口から更に坂を下った場所にあるホテルのような建物が、延暦寺会館(えんりゃくじかいかん)です。
延暦寺会館は、宿坊として実際に宿泊したり喫茶店で休憩することが出来ますよ!
会館の入り口手前には、元々この地にあった正覚院というお堂に祀られていた厄除けの正覚院不動(しょうかくいんふどう)のお堂が建てられています。
正覚院不動の御朱印はご本尊の「不動尊(ふどうそん)」で、延暦寺会館のフロントで頂くことが出来ます。
法然堂*
延暦寺会館の裏手にある少し急な下り坂を下りていくと、突き当りに法然堂(ほうねんどう)がありました。
ここは浄土宗の開祖・法然(ほうねん)がこの延暦寺で修行をした場所であり、その法然の師であった天台宗の僧・皇円(こうえん)の住居跡地でもあります。
境内にはそんな故事を指し示すかのように、「法然上人得度御旧跡」の石碑が佇んでいました。
星峯稲荷社*
法然堂から延暦寺会館に戻り境内をさらに進むと、少し小高い場所に星峯稲荷社(ほしみねいなりしゃ)が見えてきました。
この場所はもともと「星峯(ほしのみね)」という名前で、延暦寺が出来た頃に荼枳尼天(だきにてん)が白雪をまとった狐の化身で人々の罪を祓ったという故事があり、以来このお堂にて祀られています。
特に商売繁盛や立身出世の御利益があるんだとか!
ここからは、大黒堂などがある広場に戻り東塔の西側に行ってみたいと思います。
星峯稲荷の御朱印は「星峯稲荷(ほしみねいなり)」の朱印が押印されたもので、文殊楼の納経所で頂くことが出来ます。
鐘楼*
広場の西側にある階段を上ると、朱塗りの鐘楼(しょうろう)が見えてきました。
この延暦寺には東塔、西塔、横川エリアに一つずつ鐘楼がありますが、この東塔にある鐘楼は「開運/世界平和の鐘」と呼ばれ、一番大きく立派な建物になっています。
しかも、こちらに吊られている梵鐘は1回50円を志納すると実際に鐘を突くことができました!
自分で突いた鐘の音が比叡山麓に響き渡る光景はとっても気持ちの良いものですので、皆さんもぜひチャレンジしてみてください。
大講堂【重要文化財】*
鐘楼を抜けると見えてくるひと際大きな朱塗りの建物が、重要文化財に指定されている大講堂(だいこうどう)です。
以前あった建物は1956年の火事で焼失、現在の建物は江戸時代の1634年に建立された日吉東照宮の賛仏堂を1964年にこの地に移築したものです。
堂内には密教のご本尊である大日如来(だいにちにょらい)が祀られ、この延暦寺で学び新たな宗派を打ち立てた日蓮、道元、栄西、円珍、法然、親鸞、良忍、真盛、一遍といったそうそうたる高僧の像が脇を固める圧巻の光景でした!
大講堂の御朱印はご本尊の「大日如来(だいにちにょらい)」で、大講堂内部の納経所で頂くことが出来ます。
前唐院*
大講堂の北側にある通路を進むと、並び立つ2つの建物が見えてきます。
向かって右側の建物が、この前唐院(まえのとういん)です。
慈覚大師として有名な第三世天台座主・円仁(えんにん)の住居跡であり、現在も内部ではこの円仁が祀られています。
この円仁は、三井寺(みいでら)を開いた知証大師として有名な円珍(えんちん)よりも少し「前」に中国の「唐」に渡ったため、この「前唐院」と言う名がついているんだとか。
瑞雲院*
前唐院の横、向かって左側にある建物がこの瑞雲院(ずいうんいん)です。
天台宗の行の一つである「法華三昧(ほっけざんまい)」という修行を行う修行道場としての役割を持っています。
国宝殿*
前唐院と瑞雲院のさらに北側に進むと、国宝殿(こくほうでん)が見えてきます。
別途入場料が必要なので、中に入る場合は入り口で「セット券」を購入しておく必要がありますのでご注意を!
また、内部の写真や動画撮影は禁止です。
この「国宝殿」という名は文化財の国宝を現すものではなく、最澄の以下の言葉より名付けられています。
「一隅(いちぐう)を照らす、これ則(すなわ)ち国宝なり。」
これは、「自分が置かれた立場で努力し社会を照らす人たちは、どんな財宝にも代えがたい国の宝だ!」という意味を持つ素敵な言葉です。
戒壇院【重要文化財】*
国宝殿から更に境内を西に進むと見えてくる建物が、江戸時代の1678年に再建された重要文化財の戒壇院(かいだんいん)です。
この戒壇院(かいだんいん)とは戒律を授けるための場所であり、これは仏教界において正式な僧として認められるための最重要儀式。
この戒壇は、古くから奈良県の東大寺(とうだいじ)と福岡県の観世音寺(かんぜおんじ)、栃木県の薬師寺(やくしじ)の「天下の三戒壇」にのみ許された儀式で、この京都近辺では行うことが出来ませんでした。
そのため、最澄はこの戒壇の儀式を延暦寺にて執り行う許可を得ることを生涯の目標としたんだとか。
結果、最澄の没後七日目にしてようやくこの延暦寺に戒壇を行う許可が下りたと言います。
阿弥陀堂*
東塔エリアの一番西側、比叡山ドライブウェイが裏手に広がる高台に位置する建物が昭和時代の1937年に再建された阿弥陀堂(あみだどう)です。
その名の通り阿弥陀如来(あみだにょらい)をご本尊とし、この延暦寺の檀信徒の方々の回向道場としての役割を持っています。
阿弥陀堂の御朱印はご本尊の「阿弥陀如来(あみだにょらい)」で、お堂右手にある納経所で頂くことが出来ます。
法華総持院東塔*
阿弥陀堂の西側に並び立つ多宝塔のような建物が、昭和時代の1980年に再建された法華総持院東塔(ほっけそうじいんとうとう)です。
最澄は、御仏の力によりこの国を守護するために日本全国に6つの宝塔を建てたと言われており、これらの宝塔の中心に位置し束ねる役割を持っているとされるのがこの東塔なんだとか。
ご本尊は、密教における絶対仏の大日如来を中心とし五つの知恵をそれぞれ五体の如来に当てはめた五智如来(ごちにょらい)です。
法華総持院東塔の御朱印はご本尊の「五智如来(ごちにょらい)」で、阿弥陀堂の納経所で頂くことが出来ます。
これで東塔エリアの見どころを全て見て回ることが出来ました!
お次は歩いて「西塔(さいとう)」地区に行ってみたいと思います!
因みにこの東塔から西塔へは約800m(徒歩約15分)、シャトルバスなら「東塔バス停」もしくは「延暦寺バスセンター」から「西塔バス停」まで約2分で到着します。(運賃はそれぞれ210円、230円です。)
東塔から西塔への道は良く整備されており、個人的には特に危険な場所などは無いように思われました。
しかし写真にあるように長い階段やアップダウンが続きますので、動きやすい格好で臨まれることをお勧めします!
比叡山延暦寺の見どころ(西塔地区)
「*印」のついている見どころは有料エリアです。
山王院*
東塔から西塔に歩いて向かっている途中、山道の脇に古びたお堂が見えてきました。
こちらは山王院(さんのういん)と呼ばれ、智証大師として有名な円珍(えんちん)の住居跡です。
この円珍は円仁より少し後に唐に渡った人物なので、東塔にあった円仁の「前唐院」に習い「後唐院」とも呼ばれます。
円珍の住居はその後三井寺(みいでら)に移ることになったため、この僧房は千手観音を祀るお堂として伝えられてきたんだとか。
浄土院【重要文化財】*
山王院を抜けてさらに山道を進んでいくと見えてくるのが、浄土院(じょうどいん)です。
この記事では位置的に西塔エリアに含めていますが、実は延暦寺の管理的には東塔エリア管轄になるそうです。
この浄土院は伝教大師・最澄(さいちょう)の廟所であり、この延暦寺境内で最も神聖な場所とされています!
それが証拠に最澄は今でもこの聖域に生きておられると信じられ、この浄土院には「十二年籠山行(じゅうにねんろうざんぎょう)」という修行を行う僧侶が住み込み、今もこのお堂を毎日守り清めています。
この修行は一度始めると十二年間休むことなく掃除や修行をすることになります。
そのためこの浄土院の境内は常に綺麗に掃き清められ、ごみや落ち葉に至るまで余計なものが一切落ちていません。
また、この修行では親が死のうが病気になろうが浄土院の境内から一歩も外に出ることが許されないため、過酷で有名な比叡山延暦寺の修行の中でも最も過酷な「静の修行」とも呼ばれているんだとか…。
聞くところによると、この修行では過去二十六名の病死者がおられるとのこと。
その数字だけでもこの行がどれだけ過酷で命がけかを物語っていますね。
そんな厳かな空気を感じつつ、足を進めたいと思います。
常行堂【重要文化財】*
浄土院から歩くこと約10分、眼前に中央を廊下で連結された二棟の朱塗りのお堂が見えてきました!
いずれも安土桃山時代の1595年に建立され、両脇のお堂が荷物、渡り廊下がその荷物を担ぐ「担い棒」に見立てられることから「にない堂」とも呼ばれています。
向かって左側にある建物が、阿弥陀如来(あみだにょらい)をご本尊とする重要文化財の常行堂(じょうぎょうどう)です。
こちらのお堂がある西塔エリアでは、あの浄土真宗の生みの親である親鸞(しんらん)も若かりし頃修行に没頭したんだとか。
天台宗の「四種三昧(ししゅざんまい)」という四つの修行のカテゴリーのうち、90日間念仏を唱えながら阿弥陀如来の周りをまわり続ける「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」を執り行うお堂のため、この名がついているんだとか。
先ほどの十二年籠山行ほどではないですがそれでも90日って…。
境内でにこやかに挨拶したり御朱印を書いておられるお坊さんも、実は日々こうした過酷な修行を積まれていると思うと、参拝する側もちょっと気が引き締まる思いです!
法華堂【重要文化財】*
向かって右側にある建物が、普賢菩薩(ふげんぼさつ)をご本尊とする重要文化財の法華堂(ほっけどう)です。
天台宗の「四種三昧(ししゅざんまい)」という四つの修行のカテゴリーのうち、歩き座りを繰り返し行う「半行半坐三昧(はんぎょうはんざざんまい)」の、法華経に基づいて行われる「法華三昧(ほっけざんまい)」を執り行うお堂のため、この名がついているんだとか。
この行は37日間にわたり行われるらしいのですが、先述の12年や90日に比べると優しい修行に思えてきちゃいますね…。(苦笑)
ちなみに、天台宗の数々の修行は以下のサイトでその概要を知ることが出来ます。
この修行の内容をちょっとでも調べてからこの延暦寺を訪れると、修行を行う各お堂や修行僧の皆さんへの見方ががらっと変わるので、ぜひちょっとでも頭に入れてから訪れることをお勧めします!
西塔政所*
にない堂から更に先に歩を進めると、右手の一段下がった場所に西塔政所(さいとうまんどころ)があります。
こちらの建物は西塔の管理事務所と修行道場を兼ねたもので、一般の人は入ることが出来ません。
内部ではどんな過酷な修行をされているのでしょうか…。
恵亮堂*
西塔政所の正面には、江戸時代にその堂宇が作られた恵亮堂(えりょうどう)があります。
第三代の天台座主、慈覚大師・円仁(えんにん)の継承者の一人である恵亮(えりょう)が祀られています。
この恵亮は当時の天台宗において最も霊験あらたかな僧の一人だったそうで、最澄が開いた天台三門跡(てんだいさんもんぜき)の一つである妙法院(みょうほういん)の後継を任されたほどの高僧なんだとか!
釈迦堂/転法輪堂【重要文化財】*
恵亮堂に別れを告げて参道を北に進むと、朱塗りの堂々たる風格の建物が見えてきました!
こちらがこの西塔の本堂に当たる、重要文化財の転法輪堂(てんぽうりんどう)です。
「転」は「説く」こと、「法輪」は「仏の教えを転輪聖王の武器である輪宝」になぞらえたもので、「転法輪」とはそれが転じて「仏さまが衆生に教えを説きその迷いを打ち砕く」さまを指しています。
ということで、この転法輪堂は昔から仏の教えを説く講堂としての役割があります。
お堂にはご本尊の釈迦如来(しゃかにょらい)を祀るため、一般的には釈迦堂(しゃかどう)として知られています。
このお堂は元々は三井寺(みいでら)の金堂であった建物ですが、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命により安土桃山時代の1595年にこの地に移されました。
「比叡山延暦寺の歴史」の項目でも書いた通り、1571年に生じた織田信長(おだのぶなが)による「比叡山焼き討ち」によって延暦寺境内のお堂は全て焼失しています。
そのため、この釈迦堂は延暦寺境内に残る最古の建造物となっています。
鐘楼【重要文化財】*
釈迦堂手前の少し高い場所には、重要文化財に指定されている西塔の鐘楼(しょうろう)が佇んでいます。
こちらは東塔の鐘楼とは違い、一般の参拝者が勝手に突いてはいけないそうです。
箕淵弁財天社*
釈迦堂から東側に歩を進めると、少し開けた場所に箕淵弁財天社(みのぶちべんざいてんしゃ)があります。
この比叡山にある、「比叡山三大弁財天」のうちの一社です。
居士林*
西塔エリアの一番先には、居士林(こじりん)があります。
「居士(こじ)」という修行を行う者を指す言葉の通り、この建物は延暦寺の修行道場としての役割を持っています。
一般の参拝者でも修行が可能な施設だったんですが、昨今の台風の被害により現在は一時的に受付を停止されているそうです。
再開は未定ですので、興味がある方は以下のWebサイトの情報を確認してみてくださいね。
これで西塔エリアの見どころを全て見て回ることが出来ました!
お次は歩いて「横川(よかわ)」地区に行ってみたいと思います!
ただし、この西塔から横川までは写真のような山道を約4km(徒歩約70分)歩かなければいけません。
また途中の道が少し分かりにくく、間違えて比叡山ドライブウェイ(車専用道路)に出てしまう可能性もあります。(私は一度間違えてドライブウェイに迷い込みました。)
よって時間に余裕が無い場合や道に自身の無い方は、シャトルバスの利用をおすすめします。
「西塔バス停」から「横川バス停」まで約10分で到着します。(運賃は580円です。)
比叡山延暦寺の見どころ(横川地区)
「*印」のついている見どころは有料エリアです。
西塔から東海自然歩道の山道を歩くこと約70分、ようやく横川エリアの入り口が見えてきました!
この横川エリアは第三世天台座主の慈覚大師・円仁(えんにん)により開かれた修行場で、延暦寺の境内の中で最も北に位置するエリアとなります。
それでは早速、横川エリアの見どころを見て行きたいと思います。
伝教大師尊像*
ちょっと横川エリアの各見どころの紹介の前に、東海自然歩道を歩いた際に見た見どころを一つご紹介します。
それがこの伝教大師尊像(でんきょうだいしそんぞう)。
西塔から横川エリアへ向かう途中、比叡山ドライブウェイの休憩スポット「峰道レストラン」の駐車場にひと際存在感を放ちつつ佇んでいます。
法衣を被った柔和な顔つきで、休憩所に来た人たちを優しく出迎えてくれているかのようでした!
この休憩所でだいたい道のりの1/4ほど、まだまだ山道が続きますので頑張りましょう。
ちなみにこの休憩スポットは車でも徒歩でも行くことが出来ますが、シャトルバスの場合は「峰道レストランバス停」で一旦降車することになります。
龍ヶ池弁財天*
横川エリアの入り口から歩を進めると、まず見えてくるのがこの龍ヶ池弁財天社(りゅうがいけべんざいてんしゃ)があります。
この比叡山にある、「比叡山三大弁財天」のうちの一社です。
その昔この池には大蛇が住んでおり、悪さをしていたところをこの地で修行していた曹洞宗の開祖・元三大師・道元(どうげん)が観音力により封じ込め、この社に弁天様を迎えて大蛇を召使いにしたという逸話が残っています。
根本如法塔*
龍ヶ池弁財天から少し北側に境内を歩くと、多宝塔である根本如法塔(こんぽんにょほうとう)が見えてきます。
これは、この横川の地で慈覚大師・円仁(えんにん)が「根本杉」と言う大きな杉の木の根元にあった空洞で法華経を書き写す如法写経(にょほうしゃきょう)を行ったことにちなんだもの。
現在の塔は大正時代に再建されたものなんだそうです。
円仁さんはこの写経を行う際、1文字書くたびに五体投地(ごたいとうち)という体を全て投げ出す作法を行ったそうな。
法華経の文字は全部で約70万字あるそうで、その1つ1つを書き写すたびに体を投げ出してお祈りしたんだとか。
延暦寺のお坊さまの修行って昔からハードだったんですね…。
横川中堂*
根本如法塔からさらに一段高い場所にそびえ立つ朱塗りの建物が、この横川エリアの本堂である横川中堂(よかわちゅうどう)です。
以前のお堂は残念ながら1942年に落雷で焼失し、現在のお堂は落雷や火災から守るために鉄筋コンクリート造りにして昭和時代の1971年に再建されたものなんだとか。
堂内には円仁自身が作ったと言われているご本尊の聖観音(しょうかんのん)が祀られており、新西国三十三箇所観音霊場の第十八番札所にもなっています。
赤山宮*
横川中堂から南に伸びる参道の少し小高い丘の上には、赤山宮(せきざんぐう)という小さな祠があります。
円仁が中国の唐へ修行に行った際、赤山(せきざん)という地で新羅明神(しんらみょうじん)という神様を修行の拠り所としていました。
その結果約10年に渡る修行を無事終えられたことから、帰国後この地に赤山新羅明神(せきざんしんらみょうじん)として祀ったことがこの祠の起こ
こんな小さな祠でも、調べてみると壮大な歴史あり!ですね!
1」虚子の塔*
明治から昭和期を代表する俳人であった高浜虚子(たかはまきょし)。
彼は学生時代のひと時を京都の地で過ごして以来、この比叡山の地をこよなく愛していたんだとか。
夏目漱石の「吾輩は猫である」を掲載したことでも有名な雑誌「ホトトギス」。
虚子がこの延暦寺に泊まり込みで書いたとされる「風流懺法(ふうりゅうせんぽう)」はそんな雑誌「ホトトギス」にも掲載された傑作だそうで、この塔はそんな虚子を偲んで建てられたものです。
横川鐘楼【重要文化財】*
横川中堂から南に伸びる参道の突き当りには、この横川鐘楼(よかわしょうろう)があります。
江戸時代の1687年ごろに建てられたこの鐘楼は本堂から少し離れた場所にあり、横川中堂の火災に巻き込まれることなく立ち続けていることから、現在は重要文化財に指定されています。
恵心堂*
横川鐘楼を右手に曲がり進んでいくと、恵心堂(えしんどう)が見えてきました。
この地はもともとその一帯が恵心僧都(えしんそうず)の尊称を持つ天台宗の僧・源信(げんしん)が念仏三昧の修行を行う修行道場のお寺だったため、現在遺るこのお堂に恵心の名前がついているそうです。
四季講堂/元三大師堂【重要文化財】*
横川鐘楼に戻り、恵心堂とは逆方向の左手に進んでいくと見えてくる大きな建物が、重要文化財の四季講堂(しきこうどう)です。
毎年このお堂において、春夏秋冬の各季節に法華経の議論が交わされることからこの「四季講堂」という名前がついたんだとか。
現在の建物は江戸時代の1652年ごろに建てられたものです。
平安時代に大規模な火災で荒廃したこの延暦寺を復興させ、延暦寺中興の祖として知られる元三大師・良源(りょうげん)の住居跡とも言われるため、元三大師堂(がんざんだいしどう)の名前でも親しまれています。
四季講堂の境内には「おみくじ発祥の地」の石碑が掲げられています。
実は元三大師・良源には、その昔この地で疫病が流行した際に法力により二本の角を持つ夜叉の姿になり疫病を祓ったという逸話があります。
そのため、良源はその後「角大師(つのだいし)」とも呼ばれ、その夜叉の姿とご利益が書かれたお札は魔除けの護符として民間に広まって行ったんだとか。
この護符こそが今の「おみくじ」の原型となったため、この延暦寺の地は「おみくじ発祥の地」とも言われているんです。
箸塚辨財天*
四季講堂の向かいにある山道脇には、箸塚弁財天(はしつかべんざいてん)が祀られています。
この比叡山にある、「比叡山三大弁財天」のうちの一社です。
四季講堂に祀られている元三大師・良源(りょうげん)が、供養の際に利用した箸を埋めて弁財天を祀ったことからこの名がつけられています。
比叡山行院*
横川地区の外周の山道をぐるっと回った一番東側には、比叡山行院(ひえいざんぎょういん)があります。
一般向けではなく本気で修行される方のガチの修行道場で、朝早くから修行者のお祈りの声が響き渡っています。
密教の僧となるために必須の修練である「四度加行(しどけぎょう)」という行を、外界から断絶したこの場で60日間籠りっきりで行うそうです。
スマホやインターネットに慣れすぎた私にとっては考えられない厳しい修行の世界です…。
甘露山王社*
比叡山行院の向かい側には、この比叡山の地主神・山王権現を祀る甘露山王社があります。
立て札が無く色々な文献を調べましたが、その由来は元より「かんろ」なのか「あまつゆ」なのかの読み方すら分かりませんでした…。
どなたかご存知の方はご一報ください。(笑)
これで横川エリアの見どころを全て見て回ることが出来ました!
比叡山延暦寺を実際に訪問した感想としては、「お寺の本分は、やはり仏教の修行道場なんだな!」というものです。
京都や滋賀には、一般の人たちにもかなり敷居が低く観光地化が進んでいる寺院が数多くあります。
それはそれでとても良い事なんですが、そんな中この延暦寺は世界遺産として観光地化はされていますが、その境内にはつらく厳しい修行を今でも当たり前に行う修行道場としての施設や張りつめた空気が色濃く残されています。
よって、延暦寺を訪れる際にはぜひ天台宗の厳しい修行内容や歴史を少しでも調べてから行かれることをお勧めします!
そうすることで、
「あぁ、あんな厳しい修行が今でもここで行われているんだ!」
「御朱印を書いてくれたお坊さんは、実はすごい修行をしている人たちなんだ!」
といった、観光地化が進んだ寺院ではなかなか気づけない感想を持つことが出来ると思いますよ!
皆さんも是非行ってみてくださいね!
比叡山延暦寺の動画
比叡山延暦寺の写真
世界遺産「古都京都の文化財」について
この比叡山延暦寺は、「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。
この世界遺産には延暦寺を含めた京都府や滋賀県にある17の文化財が登録されていますので、ぜひ訪れてみてください!
比叡山延暦寺の御朱印
比叡山延暦寺には各お堂ごと、またご本尊ごとに数多くの御朱印を頂くことができ、その数は時期にもよりますが常時十数種類とも言われます。
延暦寺のホームページに御朱印の一覧が掲載されていますが、一つの納経所でホームページに記載されていない複数の御朱印が頂ける場所もあるので注意が必要です。
全てをコンプリートしたい方は、下記に記載されている納経所で頂ける御朱印を全て頂くのが良いかと思います。
私はそのお寺のご本尊の御朱印のみを頂くことにしていますので、今回は東塔、西塔、横川の各エリアの本堂で頂けるご本尊の御朱印のみをそれぞれ頂いてきました。(各300円)
こちらが東塔エリア本堂である根本中堂で頂ける「醫王殿(いおうでん)」の御朱印です。
この「醫王殿」は「医王殿」とも書かれ、薬師如来(やくしにょらい)をご本尊とするお堂の呼び名です。
こちらは西塔エリアの本堂である転法輪堂/釈迦堂で頂ける「大雄殿(だいゆうでん)」の御朱印です。
「大雄殿」とは釈迦如来(しゃかにょらい)をご本尊とするお堂の呼び名で、特に臨済宗や曹洞宗などの禅宗系のお寺では釈迦如来を本尊とすることが多いため、禅宗系の寺院における本堂を指す言葉でもあります。
こちらは横川エリアの本堂である横川中堂で頂ける「大悲殿(だいひでん)」の御朱印です。
「大悲」とは「大きな慈悲」を持つとされる観音菩薩(かんのんぼさつ)のことで、この観音菩薩をご本尊とするお堂の呼び名が「大悲殿」です。
比叡山延暦寺の行き方/アクセス方法
最寄り駅は京都府側から行く場合は叡山ケーブルの「ケーブル比叡駅」、滋賀県側から行く場合は坂本ケーブルの「ケーブル延暦寺駅」です。
京都駅や出町柳駅からバスで行くことも出来ますが、本数が少なかったりバスによっては運行日が予め決められている場合がありますので注意が必要です。
個人的には、延暦寺への距離が最も近い滋賀県側の「ケーブル延暦寺駅」の利用をおすすめしたいので、ルート例は「ケーブル延暦寺駅」の利用を前提で記載します。
大阪駅からケーブル延暦寺駅へのルート例(電車)
①JR京都線(湖西線直通)で「大阪駅」から「比叡山坂本駅」へ行き、徒歩で「ケーブル坂本駅」へ。
*「比叡山坂本駅」から「ケーブル坂本駅」の徒歩ルート例は下部に記載しています。
②坂本ケーブルで「ケーブル坂本駅」から「ケーブル延暦寺駅」へ。
なんば駅からケーブル延暦寺駅へのルート例(電車)
①大阪メトロ御堂筋線で「なんば駅」から「新大阪駅」へ行き、JR京都線に乗り換え。
②JR京都線(湖西線直通)で「新大阪駅」から「比叡山坂本駅」へ行き、徒歩で「ケーブル坂本駅」へ。
*「比叡山坂本駅」から「ケーブル坂本駅」の徒歩ルート例は下部に記載しています。
③坂本ケーブルで「ケーブル坂本駅」から「ケーブル延暦寺駅」へ。
京都駅からケーブル延暦寺駅へのルート例(電車)
①JR湖西線で「京都駅」から「比叡山坂本駅」へ行き、徒歩で「ケーブル坂本駅」へ。
*「比叡山坂本駅」から「ケーブル坂本駅」の徒歩ルート例は下部に記載しています。
②坂本ケーブルで「ケーブル坂本駅」から「ケーブル延暦寺駅」へ。
比叡山坂本駅からケーブル坂本駅の徒歩ルート例
徒歩約30分(1.4km)です。
ケーブルカー終点の「ケーブル延暦寺駅」から延暦寺の東塔の入り口までは徒歩約10分(500m)、一本道のため迷うことはありませんので画像は省略しています。
京都駅からバスに乗る場合
*バスは毎年運行期間が予め定められており、だいたい「3月末~11月末」のみの運行となります。
*平日は3本/日、休日は5~6本/日程度の運行なので、運行スケジュールをよく見て乗るようにしましょう。
「京都駅バス停 乗り場C6」から京阪バス「57系統」に乗車、「比叡山頂バス停」で下車。
バス会社:京阪バス
行先・系統:57系統[比叡山頂行き]
乗車バス停:京都駅[乗り場C6]
降車バス停:比叡山頂
運賃:840円
所要時間:約80分
「京都駅前バス停 乗り場C6」から京都バス「51系統」に乗車、「比叡山頂バス停」で下車。
バス会社:京都バス
行先・系統:51系統[比叡山頂行き]
乗車バス停:京都駅前[乗り場C6]
降車バス停:比叡山頂
運賃:840円
所要時間:約70分
出町柳駅からバスに乗る場合
*バスは毎年運行期間が予め定められており、だいたい「3月末~11月末」のみの運行となります。
*平日は3本/日、休日は5~6本/日程度の運行なので、運行スケジュールをよく見て乗るようにしましょう。
「京阪出町柳バス停 東行乗り場」から京阪バス「57系統」に乗車、「比叡山頂バス停」で下車。
バス会社:京阪バス
行先・系統:57系統[比叡山頂行き]
乗車バス停:出町柳駅前[今出川通東行乗り場]
降車バス停:比叡山頂
運賃:840円
所要時間:約53分
「出町柳駅前バス停今出川通東行乗り場」から京都バス「51系統」に乗車、「比叡山頂バス停」で下車。
バス会社:京都バス
行先・系統:51系統[比叡山頂行き]
乗車バス停:出町柳駅前[今出川通東行乗り場]
降車バス停:比叡山頂
運賃:840円
所要時間:約50分
タクシーで行く場合
京都駅から:約4,300円(約30分)
京阪 祇園四条駅から:約3,500円(約20分)
*上記金額に高速道路の利用料金は含まれておりません。
(参考までに、比叡山ドライブウェイの料金は入り口から延暦寺の東塔まで往復2,430円かかります。)
・タクシー運転手に行き先を告げたい場合
・タクシーを呼びたい場合
・タクシー配車連絡先(京都駅周辺)
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いかがでしたか?
それでは楽しい旅を!