勧修寺(かじゅうじ)は、京都市山科区にある真言宗山階派大本山の寺院です。
平安時代の900年に醍醐天皇(だいごてんのう)が母・藤原胤子(ふじわらのいんし)を弔うために建立、以後皇室ゆかりの門跡として栄えました。
住所は「勧修寺(かんしゅうじ)」ですが、お寺の名前は「勧修寺(かじゅうじ)」。
さらっとややこしい名前を持つこのお寺、明治時代には境内が学校になるなど地元の人たちに寄り添ってきた寺院でもあります。
そんな勧修寺の見どころは、何といっても「京都屈指の古池に配された池泉庭園」!
平安時代からこの地にある古池を中心に、古き良き時代の風景を残した庭園を散策すると不思議と心が落ち着きます!
今回は、そんな勧修寺を訪れてみました。
勧修寺の歴史
では、まずはじめに勧修寺の「歴史」と「訪問する際に知っておきたいポイント」を一緒に見て行きましょう!
勧修寺(かじゅうじ)は平安時代の900年、醍醐天皇により母・藤原胤子(ふじわらのいんし)の御霊を弔うために開かれました。
かつてこの地には藤原胤子の祖父・宮道弥益(みやじいやます)の邸宅があり、その跡地が勧修寺とされました。
ちなみに、現在も残る庭園の「氷室池(ひむろいけ)」はこの時すでにこの邸宅の近くにあったそうです。
平安時代から残る池の中って一体何が潜んでいるのでしょうか?
「池の水ぜんぶ抜く」・・・訳にはいかないですよね。(笑)
閑話休題。
お寺の名前は、「勧修寺内大臣(かじゅうじないだいじん)」と呼ばれた藤原胤子の父・藤原高藤(ふじわらのたかふじ)より来ており、以後その系譜は「勧修寺流(かじゅうじりゅう)」と言われるようになりました。
勧修寺はその起こりから分かるように、「皇室」と「藤原氏(ふじわらし)」という二つの大きな権力の庇護を受けて誕生したんですね。
勧修寺の起こりとなった醍醐天皇の母・「藤原胤子」の誕生には、ちょっとした逸話が「今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)」に残されています。
その逸話というのは、昔の日本ではとても珍しい表現だった「胤子の父・藤原高藤(ふじわらのたかふじ)と母・宮道列子(みやじのれっし)のラブロマンス」!
今昔物語風に始めるとすると・・・
今は昔、藤原高藤と宮道列子という男女がおったそうな。
高藤は鷹狩りが趣味で、この日も勧修寺近くで狩りを楽しんでいたそうな。
これはそんな折、大雨で宮道弥益(みやじいやます)の邸宅(今の勧修寺)に高藤が雨宿りさせてもらうことになったときのお話。
高藤「いやー、弥益さん助かりましたー!もーびっしょびしょやで。」
弥益「気にせんときー。何なら泊まっていきなはれ。娘の列子に接待させますわ!」
高藤「いやそこまでしてもらわんでも・・・、ん?娘さん?うぉー!超美人ー!ドキドキ。」
列子「うふふ、可愛らしい殿方。」
高藤「すいませんやっぱり泊っていきます泊まらせてください泊まるんじゃー!」
♡♡一夜の契り♡♡
しかしこの軽率な行動が元で高藤は父親から鷹狩りを禁止されてしまい、その後長らく列子に会えない日々が続いたんだとか。
高藤の父「ボケ―!何勝手に無断外泊しとるんじゃー!お前もう鷹狩り禁止な!」
高藤「マジデスカ・・・。てことはもう列子さんに会いに行けない・・・(血涙)」
それから6年後、ようやく父親から許された高藤は列子に会いに行きます。
高藤「うぉおー!愛しの列子さーん!会いに来ましたー!」
列子「うふふ、お久しゅうございます。ほら胤子、ご挨拶なさい。」
胤子「おとーしゃん。」
高藤「ん?んんん?俺の子?」
列子「うふふ、当たり前じゃぁないですか。」
胤子「おとーしゃん、だっこ。」
高藤「うぉおマジデスカ!わし、知らない間に6歳の娘のパパ!?」
列子「うふふふふふ。」
まさか一夜のラブロマンスで出来た子が、未来の天皇を生む女性になるとはこの時誰も知る由はありませんでしたとさ。
因みに、今昔物語は講談社文庫の「今昔物語集(全現代語訳)」で読むことができますよ。
時は進んで南北朝時代、後伏見天皇(ごふしみてんのう)の第七皇子であった寛胤法親王(かんいんおうしんのう)が入寺されたことをきっかけに、勧修寺は正式に門跡寺院となり栄えました。
そのため、勧修寺の寺紋は皇室とゆかりのある「裏八重菊(うらやえぎく)」の紋です。
しかし、室町時代の1467-1477年に起こった応仁の乱(おうにんのらん)でお寺は壊滅。
また、豊臣秀吉がこの地に伏見街道を通す際、「お寺の氷室池が邪魔や!」という理由でその半分が埋め立てられるなど不遇の時代を過ごします。
勧修寺が再興を果たすのは、江戸時代の1682年。
お寺の住持となった霊元天皇(れいげんてんのう)の第一皇子・済深法親王(さいじんほうしんのう)は、奈良・東大寺の大仏殿の再興に尽力した人物でした。
その功績が認められ、お寺の領地が拡大されたと言います。
これを契機に明正天皇(めいしょうてんのう)や後西天皇(ごさいてんのう)などの皇室の庇護を受け、旧御所の建物が相次いでお寺に下賜されるようになりました。
これらの建物が、現在も残るお寺の宸殿や書院、本堂です。
明治時代にはこうした建物の一部が小学校として開放されるなど、地元の人たちにも愛されながら歴史を刻んできましたとさ。
おしまい。
勧修寺について
お寺の詳細
住所:〒607-8226 京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町27−6
連絡先:075-571-0048
創建:900年(平安時代/昌泰3年)
開基:醍醐天皇(だいごてんのう)
宗派:真言宗山階派(しんごんしゅうやましなは)
本尊:千手観音(せんじゅかんのん)
拝観時間
9:00~16:00
拝観料
400円(大人)、200円(子供)
不定期に開催の「特別公開期間」は、料金が異なる場合があります。
その他注意点
・建物内部や仏像等は、写真撮影禁止です。(必ず係員の指示に従いましょう。)
・神社やお寺の正式な参拝方法は以下の記事を参考にしてください。
では次に、勧修寺の見どころを訪問時の写真を参考に振り返ってみたいと思います!
勧修寺の見どころ
「*」のついている見どころは有料エリアです。
山門
最寄り駅から向かうとまず入り口の山門(さんもん)が見えてきます。
では、一礼して境内に入っていきましょう!
玄関/庫裏
境内突き当りには、庫裏(くり)と玄関があります。
皇室ゆかりの門跡寺院なので、菊花紋(裏八重菊)が掲げられています。
境内入口は庫裏の左手、ここからは有料のエリアになります。
宸殿*
有料エリアに入ってすぐ右手に見えてくるのが、宸殿(しんでん)です。
江戸時代の1697年、明正天皇(めいしょうてんのう)の旧殿が下賜されたもので、明治時代には小学校としても使われた建物です。
さぞかし豪華な寺子屋!といった感じだったんでしょうね。
山桃の老木*
宸殿(しんでん)の南側にある山桃の老木(やまもものろうぼく)は樹齢350年。
その昔、落雷によって幹の真ん中から真っ二つになったそうです。
それでもこうして生き続けているのを見ると、いやはや植物の生命力には驚かされます。
氷池園*
山桃の老木がある散策路を抜けると、このお寺一番の見どころ「氷池園(ひょうちえん)」が見えてきました!
京都市の「名勝」に指定されるこの庭園は、平安時代からこの地にある氷室池(ひむろいけ)を中心とした池泉回遊式庭園です。
敢えて大きく手を入れず、ありのままの自然を残した落ち着いた情景が素敵ですね。
平安時代には、この池に張った氷が宮中に献上され、その張った氷の厚さによって「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」を占っていたと言われています。
だから池の名前が「氷室池(ひむろいけ)」なんですね!
観音堂*
こちらは氷室池のほとりに建つ、観音堂(かんのんどう)。
昭和初期の建立、楼閣風の建築様式がひときわ目を引く建物で「大斐閣(だいひかく)」とも呼ばれています。
書院【重要文化財】*
観音堂からさらに右奥に進むと、重要文化財の書院(しょいん)が見えてきます。
江戸時代の1686年、後西天皇(ごさいてんのう)の旧殿が下賜された建物です。
書院内部は非公開ですが、稀に特別公開される場合があります。
江戸時代の土佐派を代表する絵師、土佐光起(とさみつおき)・光成(みつなり)親子が描いた障壁画などが内部を彩ります。
内部公開されるチャンスがあればぜひお見逃しなく!
書院前庭*
書院の前庭は、樹齢750年とされるヒノキ科のハイビャクシンが一面を這う超個性的なお庭!
お庭の燈籠は、黄門さまで有名な水戸光圀(みとみつくに)公により寄進されたもの。
大きな笠石がかぶせられた個性的な形状のこの燈籠は、「勧修寺型燈籠(かじゅうじがたとうろう)」の名で親しまれています。
この愛らしい形状の燈籠を見るべく、京都に来た際に黄門さまは毎回必ずこう言って見に来たんだとか。
「京都へ来たら、この燈籠(とうろう)を見て通ろう(とうろう)。」
まさかの黄門さまギャグ・・・!
五大堂*
境内を奥に進むと、五大堂(ごだいどう)が見えてきます。
五大堂とは、古くから如来の化身である明王のうち、不動明王(ふどうみょうおう)を中心とした5人の明王を祀る御殿のことを指します。
とりわけ真言宗などの密教では、大日如来(だいにちにょらい)の教えを知らしめる明王が、衆生の信仰対象とされているんです。
本堂*
境内の一番奥まで進むと、ようやく本堂(ほんどう)がありました!
手前にあった宸殿や書院などの豪華な建物に隠れる形になりますが、こちらの本堂も江戸時代の1672年、霊元天皇(れいげんてんのう)の旧殿が下賜された由緒正しき建物です。
醍醐天皇の等身像と言われるご本尊の千手観音(せんじゅかんのん)が祀られています。
修行大師尊像*
本堂の南側、ちょうど観音堂の裏手に修行大師尊像(しゅぎょうだいしそんぞう)がひっそりと祀られています。
修行大師とは真言宗の宗祖・弘法大師空海(くうかい)が修行を行う姿です。
真言宗の行であるお遍路に行けない人たちがこの像に祈ることにより、空海(修行大師)がその人の代わりに行ってくれるというご利益があるんだとか。
修行大師尊像から氷室池のほとりを進んでいくと・・・、
「この先行かれるのはご自由ですが大いに危険」の看板が。(笑)
何だか信仰を試されている気がしますが、意を決して進みたいと思います。
翠微瀑*
看板の先を進むと見えてくるのが、翠微瀑(すいびばく)という枯れた滝跡とそこに鎮座するお不動様。
翠微(すいび)には「 山の中腹」や「遠くに青く見える山」という意味があるそうで、斜面をそうした山に見立てているんでしょうね。
弁天堂*
池のほとりをどんどん進んでいくと、七福神の一尊・弁財天(べんざいてん)を祀る弁天堂(べんてんどう)がありました。
池の周囲には沢山の仏様が鎮座し、先ほどの看板の警告を無視した?信仰心の厚い?人物を見守ってくれています。
恐らくこの池の周囲がお遍路(四国八十八箇所)のミニチュア版のようなイメージになっているのではないでしょうか。
因みに、看板に書かれていた「大いに危険」は特に感じることなく1週できました!
さて、これで有料の拝観エリアをすべて巡ることが出来ました。
最後に、境外にある納経所・仏光院(ぶっこういん)にも忘れずに寄っていきましょう!
仏光院
勧修寺の境外にある塔頭・仏光院(ぶっこういん)は、昭和時代の1951年に大石順教(おおいしじゅんきょう)により建立されました。
こちらにて、勧修寺の御朱印を頂くことができますので忘れずに寄りましょう!
以上、勧修寺の主な見どころを写真で振り返ってみました!
勧修寺の動画
勧修寺の写真
勧修寺の御朱印
勧修寺のご本尊の御朱印です。
「千手観音(せんじゅかんのん)」の墨文字ですが、「千」の文字が千手観音の梵字「キリーク」になっています。
勧修寺のご詠歌の御朱印です。
「朝未来 花咲於 氷室池 聴法音 山階寺」(あさまだき ひむろのいけの さくはなに のりのこえきく やましなのてら)
勧修寺への行き方/アクセス方法
勧修寺の最寄り駅は「京都市営地下鉄東西線 小野駅」です。
小野駅からは、徒歩(約10分)で向かいます。
大阪駅からのルート例(電車)
①JR京都線で「大阪駅」から「山科駅」へ行き、京都市営地下鉄東西線に乗り換え。
②京都市営地下鉄東西線で「山科駅」から「小野駅」へ。
なんば駅からのルート例(電車)
①大阪メトロ(地下鉄)で「なんば駅」から「梅田駅」へ行き、JR京都線に乗り換え。
②JR京都線で「大阪駅」から「山科駅」へ行き、京都市営地下鉄東西線に乗り換え。
③京都市営地下鉄東西線で「山科駅」から「小野駅」へ。
京都駅からのルート例(電車)
①JR琵琶湖線/湖西線で「京都駅」から「山科駅」へ行き、京都市営地下鉄東西線に乗り換え。
②京都市営地下鉄東西線で「山科駅」から「小野駅」へ。
最寄り駅「小野駅」からのルート例(徒歩)
小野駅から勧修寺までは約500m、徒歩10分です。
タクシーを使う場合
京都駅から:約3600円 (約25分)
河原町駅/祇園四条駅から:約3300円(約20分)
・タクシー運転手に行き先を告げたい場合
・タクシーを呼びたい場合
[タクシー配車連絡先: 京都駅周辺]
周辺のホテル検索/予約
日時を選択してクリックすれば、最寄り駅の小野駅周辺ホテルの「最安値プラン」を自動的に検索します。
いかがでしたか?
それでは楽しい旅を!( *´艸`)