知恩院の記事の表紙

知恩院(ちおんいん)は、京都市東山区にある浄土宗(じょうどしゅう)の寺院です。

法然(ほうねん)が興し念仏を日本に根付かせた浄土宗は、善人や悪人、老若男女や貧富の区別なく救われるとされる専修念仏(せんしゅうねんぶつ)の道

「阿弥陀仏を称え念仏を唱えれば、全ての衆生は救われる。」

この知恩院はそんな念仏発祥の宗派である浄土宗の総本山であり、今でも「お念仏のふるさと」として信仰され続けています。

「南無阿弥陀仏という念仏のルーツを辿りたければ知恩院へ!」

今回はそんな知恩院を訪れてみました。


知恩院の歴史

では、まずはじめに知恩院の歴史と覚えておきたいポイントを一緒に見て行きましょう!


知恩院の看板

法然(ほうねん)が比叡山延暦寺で天台宗を学び、専修念仏(せんしゅうねんぶつ)という教えにたどり着いたのは平安時代の1175年のこと。

その教えを広めるため比叡山を下りた法然は比叡山の麓に小さな草庵を建て布教を開始、浄土宗(じょうどしゅう)が誕生します。

この小さな草庵こそが、浄土宗と知恩院の始まりの場所なんですね。

法然「阿弥陀仏を信じて称え続ければ、全ての人は極楽浄土へ赴けるぞい。」

民衆「おぉ!出家したり修行したりしなくても救われる事があるんや!南無阿弥陀仏!」

座禅や瞑想などの修行をせずとも極楽浄土に生まれ変わることができるとされるこの教えは、当時の仏教界の価値観を覆すインパクトを持って迎えれ、瞬く間に民衆に広がりました。


知恩院の境内

しかし修行を否定するかのようなこの考えは、旧来の仏教にとっては相容れないもの。

結果法然と浄土宗は比叡山延暦寺に弾圧され、鎌倉時代の1207年に生じた承元の法難(じょうげんのほうなん)により失脚します。

延暦寺「修行を否定するとかアホか!そんなゆるい教えは許さんわ!」

延暦寺「せや!後鳥羽上皇の奥さん方が浄土宗にはまってしもたらしいから難癖つけたろ!上皇様たのんます!」

後鳥羽上皇「ワシの女房をたぶらかした法然と浄土宗は許さんぞ!念仏は禁止!法然は流罪じゃ!」

法然「な…、なんですと!がくっ。」

この法難より4年後の1211年に法然はようやく京都に戻ることを許されるも翌年に死去、80歳の生涯をこの知恩院がある地で閉じることとなります。

そのため、以後この知恩院は法然の廟所としての役割を持つことになるんですね。


知恩院の境内

閑話休題。

この知恩院が現在のように巨大なお寺になったのには2つの理由があります。

1つ目の理由は、徳川家の母体であった名門「松平氏(まつだいらし)」が信仰していたこと。

そのため、1604年ごろから徳川家康(とくがわいえやす)をはじめとした江戸幕府の援助により知恩院はお寺の勢力を拡大することになります。

江戸幕府「体育会系の三河武士にとって、分かりやすい浄土宗の教えは万歳や!」

江戸幕府「ちょ、京都にある浄土宗の総本山ちっちゃくね?ちょっと拡大したろか!」


知恩院の境内

2つ目の理由は、知恩院が朝廷の中心であった京都御所(きょうとごしょ)を見下ろす京都の高台に位置していたこと。

昔から幕府と朝廷は権力争いが日常茶飯事で仲が悪かったため、江戸幕府は朝廷をけん制するためにこの知恩院を江戸幕府御用達のお寺にして拡大した、という訳です。

江戸幕府「朝廷とか貴族とかお高くとまって嫌な感じや!」

江戸幕府「あいつら戦の実力とか無いくせに権力だけは持ちたがるからかなわんわ!」

江戸幕府「せや、あいつらの住居(京都御所)を監視できる知恩院を発展させて嫌がらせしたろ!」

朝廷「毎日山の上から監視されてますわ・・・。嫌やわほんま・・・。」

こんな理由で、この知恩院は徳川家が覇権を握っていた江戸時代に現在のような大きなお寺に変貌し現在に至ります!

そのため寺紋には「三つ葉葵」の使用が許可されるなど、知恩院の境内では現在でも徳川家の名残を随所に感じることができます。

教訓「お寺の規模が大きいのには、それなりの大人の事情があったりする。」

おしまい。

知恩院について

知恩院の三門

お寺の詳細

住所:〒605-8686 京都市東山区林下町400
連絡先:075-531-2111
創建:1175年
開基:法然(ほうねん)
宗派:浄土宗(じょうどしゅう)
ご本尊:阿弥陀如来(あみだにょらい)

開門時間

冬季(12月~2月) 6:00~16:00
春/秋季(3月~5月、9月~11月) 5:30~16:00
夏季(6月~8月) 5:00~16:00

庭園拝観時間

方丈庭園 9:00~15:50
友禅苑 9:00~16:00

拝観料

友禅苑 知恩院方丈庭園 共通券
高校生以上 300円 400円 500円
小中学生 150円 200円 250円

その他注意点

・上記情報は2017年1月に訪れた際のものであり、変更されている可能性があります。

・大方丈や小方丈は特別拝観期間にのみ中に入ることができます。(別途有料です。)

・写真/動画撮影可能な場所や、一脚/三脚の利用可否は必ず係員に確認しましょう。

・神社やお寺の正式な参拝方法は以下の記事を参考にしてくださいね。


知恩院の拝観券

では次に、知恩院の見どころを訪問時の写真を参考に振り返ってみたいと思います!


知恩院の見どころ

「*印」のついている見どころは有料エリアです。


知恩院の新門

知恩院(ちおんいん)の最寄り駅は祇園四条駅、徒歩約15分の場所にあります

知恩院の近辺には、青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)八坂神社(やさかじんじゃ)などの京都を代表する神社仏閣がありますので、合わせて訪問することをお勧めします!


知恩院の地図

知恩院の境内はとても広いため、全ての見どころを見て回るにはかなり時間がかかります。

ぜひ時間に余裕を持って訪れるようにしましょうね。

では、まず知恩院の境内にある数々の門を見て行きましょう!

新門

知恩院の新門

大通りから続く知恩院の参道は、大きく分けて南北二つに分かれています。

駅に近い南側の参道は三門(さんもん)に続いており、この新門(しんもん)が入り口となります。

この新門から三門までは約400mもあり、昔より知恩院の境内がいかに大きいかを物語っています。

古門

知恩院の古門

黒門(くろもん)に続く北側の参道入口には、この古門(ふるもん)が建てられています。

三門(国宝)

知恩院の三門

新門をくぐり南側の参道を抜けると、江戸時代の1621年に江戸幕府二代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)によって建立された巨大な三門(さんもん)が見えてきました!

この三門は国宝に指定されており、日本三大門の一つにも数えられている名門です。

(残りの二つは、同じ京都の南禅寺(なんぜんじ)と山梨県にある久遠寺(くおんじ)の三門と言われています。)


知恩院の三門の扁額

知恩院の正式名称は、「華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざんちおんきょういんおおたにでら)」。

この三門には、第百十二代の霊元天皇(れいげんてんのう)によりしたためられた「華頂山(かちょうざん)」の額が掲げられています。

三門には、悟りの境地に通じるための「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という三つの解脱を表わす門の名前が込められています。

黒門

知恩院の黒門

北側の参道を抜けて境内に入る場合は、この黒門(くろもん)から入ることになります。

折角なのでぜひ国宝である南側の三門から境内に入ってみてください。

北門

知恩院の北門

黒門側から境内を進むと見えてくる門は北門(きたもん)と呼ばれています。

三門から入って境内をぐるっと回り、最後にこの北門から黒門に抜けて帰るのがルート的には良いのかなと思います。

南門

知恩院の南門

北門の対となる門として、境内の南側にはこの南門(みなみもん)があります。

こちらは枝垂れ桜で有名な、知恩院の南側に位置する円山公園(まるやまこうえん)からの入口に当たります。

四脚門

知恩院の四脚門

境内の重要建造物である国宝の御影堂(みえいどう)と重要文化財の集会堂(しゅうえどう)を分かつ場所に位置する門が、四脚門(しきゃくもん)です。

武家門

知恩院の武家門

重要文化財の集会堂(しゅうえどう)の入り口の門は、武家門(ぶけもん)と呼ばれています。

有料で拝観可能な方丈や方丈庭園の入口でもあります。

唐門(重要文化財)*

知恩院の唐門

知恩院の門シリーズの最後を飾るのが、江戸時代の1641年に建てられた唐門(からもん)です。

この唐門は大方丈の庭園側から望むことができます。

御影堂(国宝)

知恩院の御影堂

知恩院境内の中心に位置する建物が、国宝の御影堂(みえいどう)です。

法然(ほうねん)を祀るお堂で、江戸時代の1639年に江戸幕府三代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)により再建されました

私が訪れた時は平成の大修理の真っただ中で残念ながら見ることが出来ませんでした!

(2019年3月に工事は無事完了していますので、現在は見ることが出来ますよ。)

阿弥陀堂

知恩院の阿弥陀堂

御影堂の南側に位置する建物が、ご本尊の阿弥陀如来(あみだにょらい)を祀る阿弥陀堂(あみだどう)です。

明治時代の1910年に再建された比較的新しい建物ですが、扁額の文字は室町時代の後奈良天皇(ごならてんのう)の宸筆だそうです。

霊塔(多宝塔)

知恩院の霊塔

阿弥陀堂の対面には、霊塔(れいとう)と呼ばれる朱塗りの多宝塔が鎮座しています。

寶佛殿

知恩院の寶佛殿

御影堂の対面に鎮座する建物は寶佛殿(ほうぶつでん)と呼ばれており、納骨堂の役割を持ちます。

こちらの建物には、阿弥陀如来(あみだにょらい)四天王(してんのう)が祀られています。

納骨堂

知恩院の納骨堂

寶佛殿の東側にある少し小さめの仏塔が、1930年建立の古い納骨堂(のうこつどう)です。

大鐘楼(重要文化財)

知恩院の大鐘楼

納骨堂のすぐそばには、江戸時代の1678年に建てられた重要文化財大鐘楼(だいしょうろう)があります。


知恩院の梵鐘

大鐘楼に吊られている鐘は、日本三大梵鐘の一つにも数えられている名鐘なんです!

(残りの二つは、同じ京都にある「方広寺(ほうこうじ)」と奈良にある「東大寺(とうだいじ)」の梵鐘です。)

経蔵(重要文化財)

知恩院の経蔵

納骨堂の北に位置する建物が、江戸時代前期の1621年に建てられた重要文化財の経蔵(きょうぞう)です。

経蔵とは仏教の経典の一つである一切経(いっさいきょう)を納めるためのお堂です。

写経塔

知恩院の写経塔

経蔵の脇には、書写された写経を納める写経塔(しゃきょうとう)があります。

知恩院さんでは勢至堂にある客殿にて「写経体験」を開催されています。

詳しくは以下の知恩院さんWebサイトをご参照ください。

勢至堂(重要文化財)

知恩院の境内

知恩院の境内の一段高い場所は、法然(ほうねん)の廟所になっており法然ゆかりの建物や見どころが点在しています。


知恩院の境内

経蔵の裏手にある長い階段を上ると、勢至堂への入り口が見えてきます。


知恩院の勢至堂

こちらが室町時代後期の1530年に再建された重要文化財勢至堂(せいしどう)です。

知恩院に現存する建物の中で最も古い建物なんだとか。


知恩院の勢至堂

堂内には法然の生まれ変わりとされる、勢至菩薩(せいしぼさつ)が祀られています。

(法然の幼少の頃の名前が「勢至丸(せいしまる)」だったことから、勢至菩薩は法然の生まれ変わりとされているんだとか。)

紫雲水

知恩院の紫雲水

紫雲水(しうんすい)と呼ばれる勢至堂のそばに湧き出るこの湧き水は、法然が臨終を迎えた際に紫の雲がこの水面に映ったとされる霊水です。

法然上人御廟

知恩院・法然御廟の拝殿

勢至堂より更に一段高い場所には、法然上人の御廟=お墓が設けられています。

こちらは御廟の前面にある、江戸時代の1710年に建てられた拝殿(はいでん)です。


知恩院・法然上人の御廟


知恩院の境内

拝殿の奥には江戸時代の1613年に建てられた、御廟(ごびょう)があります。

この御廟は境内の中でも一番高い場所にあり、京都市内を一望することが出来ます。

では次からは、知恩院の有料拝観場所を見て行きたいと思います!

知恩院が常時公開している有料拝観場所は、「方丈庭園」「友禅苑」の二つの日本庭園です。


知恩院の特別公開の看板

また、不定期ですが大方丈と小方丈の特別公開がありますので、Webサイトなどを是非チェックしてみましょう!

大方丈の内部では狩野派による絢爛豪華な襖絵、小方丈の内部では落ち着いた雰囲気の水墨画で彩られた襖絵をそれぞれ見ることが出来ますよ!

(建物内部は写真撮影禁止ですので、ぜひ実際に見に行ってみてください!)

集会堂(重要文化財)

知恩院の集会堂

こちらは江戸時代の1635年に建てられた重要文化財集会堂(しゅうえどう)

法然上人御堂とも呼ばれるこの建物は方丈庭園への入り口でもあり、こちらにて有料拝観の受付を行います。

もう一つの庭園である友禅苑は境内の南側にあり、詳細を以下の別記事にまとめていますので是非見てください。

大方丈(重要文化財)*

知恩院の大方丈

集会堂から境内の奥に進むと、江戸時代の1641年に建てられた重要文化財大方丈(おおほうじょう)が見えてきました。


知恩院の大方丈

この大方丈は昔から重要人物の謁見の間として使われていたため、その室内は狩野派(かのうは)による絢爛豪華な障壁画で埋められています。

大方丈の内部は、不定期に開催される特別公開期間にのみ公開されます。

小方丈(重要文化財)*

知恩院の小方丈

大方丈から更に奥に進むと、大方丈と同じく江戸時代の1641年に建てられた重要文化財小方丈(こほうじょう)が見えてきました。


知恩院の小方丈

この小方丈は知恩院に住まう主の邸宅として使われていたため、その室内は大方丈とは打って変わって落ち着いた雰囲気の水墨画が配されています。

方丈庭園*

知恩院の方丈庭園

大方丈や小方丈が連なる建物の側面には、池泉回遊式の方丈庭園(ほうじょうていえん)が広がっています。

この方丈庭園は北側と南側に分かれており、こちらは南側に位置する庭園の風景です。


知恩院の方丈庭園

少し方丈庭園を奥に進むと、北側の庭園が見えてきました。

こちらは池のほとりが枯山水庭園になっており、先ほどの南庭とは少し趣が異なります。

南北の庭園で異なる風景を楽しむことが出来る工夫がなされているところが素敵ですね!


知恩院の方丈庭園

北庭の端にある、刈り込みと白砂がひときわ整然と整備された空間は「二十五菩薩の庭」と呼ばれています。

こちらの庭園は、知恩院が所有する国宝の阿弥陀如来二十五菩薩来迎図の図柄をもとにデザインされたんだとか。

それぞれの刈り込みが、お迎えに来られる二十五体の菩薩様を表現しているんですね。

権現堂*

知恩院の権現堂

方丈庭園の最奥には、徳川幕府初代将軍・家康(いえやす)、二代目・秀忠(ひでただ)、三代目・家光(いえみつ)の位牌が安置される権現堂(ごんげんどう)が静かに佇みます。

徳川家康(とくがわいえやす)は、ご存知の通り現在は東照大権現(とうしょうだいごんげん)の神名を持つ神様の一体であり、その家康を祀る廟所のため、権現堂という名が用いられているんですね。

これで有料拝観場所の見どころは終了、一度集会堂の入り口に戻りたいと思います。

大庫裏(重要文化財)*

知恩院の大庫裏

集会堂の左手には、江戸時代前期の1641年頃に建てられた重要文化財大庫裏(おおくり)があります。

雪香殿(せっこうでん)とも呼ばれるこの建物は、残念ながら内部は非公開です。

小庫裏(重要文化財)*

知恩院の小庫裏

大庫裏の裏手には、大庫裏と同時期の1641年頃に建てられた重要文化財小庫裏(しょうくり)があります。

月光殿(げっこうでん)とも呼ばれるこの建物も、残念ながら内部は非公開です。


以上で知恩院の主な見どころを見て回りました!

訪問の感想としては、やはり浄土宗の総本山だけあって巨大な伽藍や雄大な日本庭園は見応え十分!

また「三つ葉葵」の紋が至る所に配されているなど、徳川家康との縁が深いことを随所に見て取れる楽しみもありました。

方丈庭園と友禅苑には共通拝観券(割引価格)があるので、知恩院を訪れる際にはぜひ有効活用したいですね!

知恩院の写真


春の夜間ライトアップ「京都東山花灯路」について

知恩院のライトアップ

この知恩院は、毎年春に開催される「京都東山花灯路」の会場です。

とても幻想的なライトアップイベントですので、春にこの友禅苑に行く際は夜もおすすめです!

↓京都東山花灯路の訪問記事はこちら↓

知恩院の御朱印

知恩院の御朱印

私が訪れた際には、知恩院には3種類の御朱印がありました。


知恩院の御朱印

今回私は、主流である法然上人(ほうねんしょうにん)の御朱印を頂きました。

御朱印は朱印所で頂くことができます。(300円)


知恩院への行き方/アクセス方法

知恩院の最寄り駅は「祇園四条駅」若しくは「東山駅」です。

京都駅からバスで行くことも出来ます。


大阪駅から祇園四条駅へのルート例(電車)

乗換え案内サイト

①JR大阪環状線で「大阪駅」から「京橋駅」へ行き、京阪電車に乗り換え。

②京阪電車で「京橋駅」から「祇園四条駅」へ。


なんば駅から祇園四条駅へのルート例(電車)

乗換え案内サイト

①大阪メトロ御堂筋線で「なんば駅」から「淀屋橋駅」へ行き、京阪電車に乗り換え。

②京阪電車で「淀屋橋駅」から「祇園四条駅」へ。


京都駅から祇園四条駅へのルート例(電車)

乗換え案内サイト

①JR奈良線で「京都駅」から「東福寺駅」へ行き、京阪電車に乗り換え。

②京阪電車で「東福寺駅」から「祇園四条駅」へ。


祇園四条駅からの徒歩ルート例

徒歩約20分(1km)です。


京都駅からバスに乗る場合

乗換え案内(バス)

「京都駅前 乗り場D2」から京都市バス「206系統」に乗車、「知恩院前」バス停で下車。

バス会社:京都市バス
行先・系統:206系統[祇園・北大路バスターミナル行き]
乗車バス停:京都駅前[乗り場D2]
降車バス停:知恩院前
運賃:230円
所要時間:約23分


タクシーで行く場合

京都駅から:約1,800円(約10分)

京阪 祇園四条駅から:約720円(約3分)

・タクシー運転手に行き先を告げたい場合

chionin-64

・タクシーを呼びたい場合

taxi-call

タクシー配車連絡先(京都駅周辺)

知恩院周辺のホテル検索/予約

日時を選択してクリックすれば、周辺ホテルの「最安値プラン」を自動的に検索します。


いかがでしたか?

それでは楽しい旅を!