随心院(ずいしんいん)は、京都市山科区にある真言宗善通寺派の大本山です。
鎌倉時代の1229年、後堀河天皇(ごほりかわてんのう)から皇族寺院の「門跡(もんぜき)」とされたため、「随心院門跡」とも呼ばれます。
お寺の住所は「小野御霊町(おのごりょうちょう)」。
その名の通り、この地は昔から士族である「小野氏(おのうじ)」の繁栄とその御霊を祀る場所でもありました。
中でも小野氏きっての有名人、平安時代の女流歌人「小野小町(おののこまち)」がその余生を静かに過ごした地!とも言われます。
そんな随心院の見どころは、何といっても「小町絵図と表書院の庭園風景」!
小町の一生を描いた極彩色の襖絵や風情ある庭園の風景を見ると、小町に習い自分も「和歌」を詠みたい気分にさせてくれます!
今回はそんな随心院/随心院門跡を訪れてみました。
随心院の歴史
では、まずはじめに随心院の「歴史」と「訪問する際に知っておきたいポイント」を一緒に見て行きましょう!
随心院は平安時代の991年(正暦2年)、弘法大師・空海(くうかい)の八代目の弟子にあたる仁海(にんがい)僧正による建立、当初は「曼荼羅寺(まんだらじ)」という名前でした。
仁海僧正?あまり聞きなれないお坊さんですよね。
だがしかーし!
この仁海さん、「雨乞い」というチートスキルを持っていたことで有名なんです。
因みに、遠いお師匠様の弘法大師空海(くうかい)も雨乞いの超絶スペシャリストとして名を馳せた人物。
真言宗のお坊さんは、代々「雨乞いスキル持ち」なんでしょうか?(笑)
さてさて時は平安時代、都は度々干ばつに襲われ、見かねた仁海さんが立ち上がります。
仁海「ワシ、雨乞いのスキル持ち!」
仁海「よっしゃ、お師匠さま(空海)に習っていっちょわしも雨を降らせたろか!」
仁海「雨乞いの場所っちゅうたら、龍王さまが住む神泉苑(しんせんえん)で決まりやな!」
民衆「おぉー、勇者(雨乞いスキル持ち)の登場や!もう大丈夫やー!」
仁海「ぬぉおおお!アメヲフラシタマエー!」
ごろごろぴしゃーん!どざざざざー。
民衆「うおぉー、スゲー!さすが勇者さまやー!また頼んますー!」
仁海「任せときー!」
てなことで仁海さん、こんな感じで干ばつが起きるたび雨乞いスキルを発動すること「人生で9度」。
しかもその全てを成功させたんだとか。なんだその天候を操るチートスキルは。
そしてついたあだ名が「雨僧正(あめそうじょう)」。
民衆「仁海さんすげえっす!もう異世界に行っても無双できるんじゃねっすか?」
仁海「なんやラノベっぽいノリになっとるけど・・・。」
閑話休題。
雨僧正・仁海の活躍もあり、その後このお寺の領地は拡大され、境内に「随心院(ずいしんいん)」という塔頭が出来ました。
これが、現在のお寺の名前の由来ですね。
鎌倉時代の1229年(寛喜元年)には、後堀川天皇(ごほりかわてんのう)より「門跡(もんぜき)」として庇護されるまでになります。
しかし、栄枯盛衰は世の常。
他の京都の寺社仏閣と同様、随心院も「承久の乱(じょうきゅうのらん)」、「応仁の乱(おうにんのらん)」の戦火で焼け落ちてしまいます。
しかし、そこは天皇や皇族が庇護した「門跡」、次第に復興の声が高まると、安土桃山時代の1599年(慶長四年)に本堂が再建されました。
その後は門跡寺院として、五摂家(ごせっけ)の「九条家(くじょうけ)」「二条家(にじょうけ)」の庇護を受けつつ現在に至ります。
そのため、このお寺の寺紋は「九条藤(くじょうふじ)」に定められています。
おしまい。
随心院について
Webサイト
お寺の詳細
住所:〒607-8257 京都市山科区小野御霊町35
連絡先:075-571-0025
創建:991年(平安時代/正暦2年)
開基:仁海(にんがい)僧正
宗派:真言宗善通寺派(しんごんしゅうぜんつうじは)
本尊:如意輪観音(にょいりんかんのん)
拝観時間
9:00~16:30(16:00受付終了)
拝観料
高校生以上 | 中学生 | |
通常期間 | 500円 | 300円 |
小野梅園(春のみ) | 500円 | 300円 |
不定期に開催の「特別公開期間」は、料金が異なる場合があります。
その他注意点
・写真撮影禁止の場所があります。(禁止場所は掲示されています。)
・神社やお寺の正式な参拝方法は以下の記事を参考にしてください。
では次に、随心院の見どころを訪問時の写真を参考に振り返ってみたいと思います!
随心院の見どころ
- 総門
- 小野梅園【名勝】*
- 薬医門
- 長屋門
- 歌碑
- 庫裏
- 坪庭*
- 大玄関*
- 表書院*
- 能の間*
- 庭園*
- 本堂*
- 中庭*
- 奥書院*
- 小町堂*
- 大乗院
- 化粧の井戸
- 小町庭園
- 小町文塚
- 清瀧権現堂
- 仁海僧正供養塔
「*」のついている見どころは有料エリアです。
随心院の境内は、その全体が史跡に指定されています。
総門
最寄りの小野駅からトコトコ歩いて向かうと、総門(そうもん)が見えてきます。
江戸時代の1753年ごろに、「二条家」より移築された門とのことです。
小野梅園【名勝】*
総門から境内に入ると、まず右手に名勝の「小野梅園(おのばいえん)」があります。
京都南部の梅の名所として知られていますよ!
私はなぜかいつも梅の時期以外に訪問しており、梅が満開の写真がありません・・・。
薬医門
随心院の境内は、まるでお城のようにその周囲が囲われています。
こちらは随心院の境内南側、表書院の玄関前に鎮座する薬医門(やくいもん)。
江戸時代の寛永年間(1624-1631)、徳川秀忠夫人・天真院尼(てんしんいんに)の寄進による建立と伝わります。
長屋門
こちらは随心院の境内西側に鎮座する長屋門(ながやもん)。
江戸時代の武家屋敷などで良く見られる形式で、両脇に門番や家来が住む部屋が配されているのが特徴です。
歌碑
拝観入口の手前には、小野小町の有名な歌が刻まれた歌碑がありました!
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
百人一首を知らなくても、この歌は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?
「あぁ!なんてことでしょう!」
「長い雨でもの想いにふけっている間に、あんなに綺麗だった桜の花が色あせてしまったわ!」
「そう、私のこの美貌がいつの間にか衰えてしまったように!ぐぬぬのぬー!」
現代的に意訳をするとこんな感じでしょうか。(小野小町に怒られるぞ。)
まぁいつの世も共通の、女性の美へのはかなくも強い想いが感じ取れればOKなのかな・・・と。
庫裏
さて、気を取りなおして拝観を続けます。
こちらは、拝観や御朱印の受付をしてくれる庫裏(くり)。
江戸時代の1753年に、二条家の執務所だった建物が移築されたそうです。
拝観受付を行い、中にお邪魔します。
庫裏の入り口広間には、秋江彩美術織(あきえさいびじゅつおり)という特別な技法で織られた「小野小町」像のお出迎えが。
坪庭*
庫裏から表書院へ向かう途中の坪庭(つぼにわ)では、晩春(4月下旬~5月上旬)の風物詩・石楠花(しゃくなげ)の花が満開を迎えていました!
大玄関*
こちらは表書院の正式な入り口にあたる大玄関(おおげんかん)。
薬医門と同じく江戸時代の寛永年間(1624-1631)、徳川秀忠夫人・天真院尼(てんしんいんに)の寄進による建立と伝わります。
表書院*
庫裏から渡り廊下を進むと見えてくるのが、表書院(おもてしょいん)。
大玄関と同じく江戸時代の寛永年間(1624-1631)、徳川秀忠夫人・天真院尼(てんしんいんに)の寄進による建立と伝わります。
能の間*
表書院と部屋続きになっている、能の間(のうのま)。
江戸時代の宝暦年間(1753-1764)に九条家の寄進により建立、1991年(平成3年)に改修されました。
この部屋からは、個人的なこのお寺一番の見どころ「表書院の庭園風景」が楽しめます!
庭園の石楠花(しゃくなげ)と満作(まんさく)が満開になる4月末~5月初旬が一番おすすめですよ!
近年の改修で、能の間にある襖絵はこんなにカラフルに!
なんてインスタ映えな!
「極彩色梅匂小町絵図(ごくさいしきうめいろこまちえず)」と言い、小野小町の一生を描いた襖絵なんだそうです。
「写真撮影OKなので、どしどしSNSにアップしてくださーい。」と係員の方も仰ってましたw
庭園*
表書院と本堂の前にある庭園(ていえん)は、過去その苔の美しさから「洛巽(らくそん=京都の南東)の苔寺」とも称されていました。
近年は少し苔が衰えてきたそうですが、それでも一面に配された大杉苔の大海原は圧巻ですね!
やはり、能の間からの庭園の眺めが抜群です。
まるで一つの絵画を見ているような完成度!
本堂*
表書院から能の間を抜けた、境内の一番奥に佇む本堂(ほんどう)。
安土桃山時代の1599年、創建当初の親寺であった曼荼羅寺(まんだらじ)の跡地に建立されました。
ご本尊の如意輪観音(にょいりんかんのん)坐像です。
通常は秘仏ですが、春と秋の特別公開期間のみ御開帳され、そのご尊顔を拝むことができます!
中庭*
表書院から奥書院の方向に渡り廊下を進むと、中庭(なかにわ)が見えてきます。
こちらも書院の庭園と同じく杉苔の庭園ですが、松やキリシマツツジが沢山配されているため、全く異なる印象を与えてくれます。
やはりキリシマツツジの燃えるような紅色は、見るものをひきつけますね!
奥書院*
表書院から渡り廊下を渡った先には、奥書院(おくしょいん)があります。
江戸時代初期の建立と伝わり、内部では狩野派による「舞楽図」、「宮廷人物図」、「竹虎図」などの襖絵を見ることが出来ました。(撮影禁止)
小町堂*
奥書院北側の庭園にひっそりと佇む、小町堂(こまちどう)。
小野小町の名前が冠せられたこのお堂は、女性のための永代供養の場として建立されたんだそうです。
さて、これで有料の拝観場所はすべて巡ることが出来ました。
折角なので、引き続き境内の外側も散策してみましょう!
大乗院
境内の西側、ちょうど長屋門の向かいにある塔頭の大乗院(だいじょういん)。
境内には、修行大師(空海)像や延命地蔵菩薩(えんめいじぞうぼさつ)が祀られています。
化粧の井戸
境内の南側、梅園を背にした竹林の中を進むと見えてくるのが化粧の井戸(けわいのいど)です。
かつてこの場所には小野小町の屋敷があり、その屋敷跡に残った井戸なんだそうです。
超絶の美女として知られる小野小町、毎朝この井戸の水でせっせと化粧をしていたとか。
小町庭園
境内の北側を進むと、小町庭園/御苑(こまちていえん/ぎょえん)が見えてきます。
大きめの竹林が周囲を取り囲んでおり、庭園というよりは森の散策路といった風情を醸し出しています。
小町文塚
小町庭園の一番北側の奥まったところには、小町文塚(こまちふみづか)がひっそりと佇んでいます。
ここに眠っているのは・・・、
「絶世の美女・小野小町が男性からもらった沢山のラブレター」
なんでも、思いが詰まった重いラブレターを捨てるのは忍びないので、塚を作って大切に扱ったんだそうです。
どんだけモテたんだ!小町さん!
清瀧権現堂
小町庭園を東側に歩いていくと、清瀧権現堂(せいりゅうごんげんどう)が見えてきます。
随心院の近くにある、世界遺産の醍醐寺(だいごじ)。
この醍醐寺の守護神が「清瀧権現(せいりゅうごんげん)」であり、随心院の本尊・如意輪観音の化身とも言われています。
その縁で、この随心院にもこうして清瀧権現(せいりゅうごんげん)が勧請されているんでしょうね。
仁海僧正供養塔
清瀧権現堂の逆方向、小町庭園の西側を進むと仁海僧正供養塔(にんがいそうじょうくようとう)があります。
その名の通り、このお寺の開基であり「雨乞い」のチートスキルを有した仁海僧正を供養するために建立されました。
以上、随心院の主な見どころを写真で振り返ってみました!
随心院のお花
随心院は、「梅」や「石楠花(しゃくなげ)」が綺麗なお寺として知られています。
梅の見ごろは2月末~3月上旬、石楠花の見ごろは4月末~5月上旬ですよ!
随心院の動画
随心院の写真
随心院の御朱印
随心院の御朱印は、お寺の前身・曼荼羅寺の塔頭であったことを表す「曼荼羅殿(まんだらでん)」の墨文字です。
こちらは京都十三佛霊場巡りの第十一番札所、「阿閦如来(あしゅくにょらい)」の墨文字です。
随心院への行き方/アクセス方法
随心院の最寄り駅は「京都市営地下鉄東西線 小野駅」です。
小野駅からは、徒歩(約10分)で目的に向かいます。
大阪駅からのルート例(電車)
①JR京都線で「大阪駅」から「山科駅」へ行き、京都市営地下鉄東西線に乗り換え。
②京都市営地下鉄東西線で「山科駅」から「小野駅」へ。
なんば駅からのルート例(電車)
①大阪メトロ(地下鉄)で「なんば駅」から「梅田駅」へ行き、JR京都線に乗り換え。
②JR京都線で「大阪駅」から「山科駅」へ行き、京都市営地下鉄東西線に乗り換え。
③京都市営地下鉄東西線で「山科駅」から「小野駅」へ。
京都駅からのルート例(電車)
①JR琵琶湖線/湖西線で「京都駅」から「山科駅」へ行き、京都市営地下鉄東西線に乗り換え。
②京都市営地下鉄東西線で「山科駅」から「小野駅」へ。
最寄り駅「小野駅」からのルート例(徒歩)
小野駅から随心院までは約400m、徒歩7分です。
タクシーを使う場合
京都駅から:約3600円 (約25分)
河原町駅/祇園四条駅から:約3300円(約20分)
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いかがでしたか?
それでは楽しい旅を!( *´艸`)