常寂光寺(じょうじゃっこうじ)は、京都市右京区にある「小倉山」という山号を持つ日蓮宗の寺院です。
「小倉山 峰のもみち葉 心あらは 今ひとたひの 御幸またなん」
「小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)」の26番歌、藤原忠平(ふじわらのただひら)の歌にもある通り、この常寂光寺の地は古くからの景勝地であり貴族や芸術家の別荘地として栄えてきました。
百人一首の選定が行われた山荘も、実はこの常寂光寺の境内に存在していたとも言われます。
そんな常寂光寺の見どころは、「小倉山の豊かな自然を堪能できる境内」!
春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と、四季折々で豊かに表情を変える境内はいつ伺っても見応え十分!
古くは皇室や貴族だけに楽しむことが許された風景を、今や誰もが気兼ねなく楽しめます。
今回はそんな常寂光寺を訪れてみました。
常寂光寺の歴史
では、まずはじめに常寂光寺の歴史と覚えておきたいポイントを一緒に見て行きましょう!
この常寂光寺(じょうじゃっこうじ)は、風光明媚な京都嵐山地区の一山である小倉山の麓に位置します。
古くから景勝地として栄えたこの地には、数多の文化人や貴族が別荘を建てて居住しました。
鎌倉時代初期の歌人である藤原定家(ふじわらのさだいえ)もその一人で、この地に「小倉山荘(おぐらさんそう)」という別荘を建立し、四季折々の風情を楽しんだそうです。
その別荘があった場所こそがこの地にある二尊院(にそんいん)や厭離庵(えんりあん)、常寂光寺(じょうじゃっこうじ)の近辺と言われ、その別荘で小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)が選定されました。
これが、この常寂光寺や小倉山の近辺が「小倉百人一首選定の地」と言われる理由なんですね。
そんな百人一首選定の地とも言われる場所が日蓮宗(にちれんしゅう)のお寺になったのは、安土桃山時代の1596年(慶長元年)のこと。
日蓮宗の大本山・本圀寺(ほんこくじ)で16世の住持を務めた日禎(にっしん)によって建立されました。
その当時、日蓮宗では豊臣秀吉(とよとみひでよし)への献金を巡ってお寺の上層部が分裂、日禎は「献金はダメ!ゼッタイ!」派でした。
日蓮宗にはもともと「不受不施(ふじゅふせ)」という教えがありました。
これは「法華経(ほけきょう)を信仰しない者から施しを受けたり、施したりするのはダメ!」というもので、日禎はこの教えに従って献金を拒絶したんですね。
日禎「権力者へお金渡して守ってもらうとか教義に反するやろ!わし絶対反対!」
が、時の権力者に歯向かうことは難しく献金を行う派が大勢を占めてしまったため、日禎は本圀寺を出ることを決意、山に隠居して修行を続けることに。
日禎「金で解決する奴らと一緒に修行なんかできるか!わしは山に籠って一人でやるわ!」
そんな日禎が心穏やかに修行を続けられる場として選んだのがこの小倉山の麓であり、藤原定家の別荘があった地でした。
日禎「こんな荒れた心を静めて穏やかに修行できる場所がどっかにないやろか…?」
日禎「せや!小倉山の麓に和歌で絶賛されてる素敵な場所があるらしいからそこにしよ!」
という訳で、隠居の場所としてこの小倉山の地に常寂光寺(じょうじゃっこうじ)を建立しましたとさ。
閑話休題。
お寺の建立から2年後の1598年には、日蓮宗のいざこざの原因をつくった秀吉が死没。
秀吉に気兼ねが無くなったからなのか、教義を守り修行に励んでいた日禎の元にはその後建物などの寄進が数多く寄せられるようになりました。
慶長年間(1596年~1615年)にかけては、京都における秀吉の象徴でもあった伏見城(ふしみじょう)の客殿が移築されて本堂となり、1616年には本圀寺(ほんこくじ)の客殿南門が移築されて仁王門となりました。
日禎がこの地に隠居するきっかけとなった、秀吉や本圀寺の建物が移築されたというのが興味深いですよね!
そんなこんなでお寺の建物がどんどんと整備されていき、現在に至ります。
教訓「真面目に修行を行っていると、必ずいつの日か報われる。」
おしまい。
常寂光寺について
お寺の詳細
住所 | 〒616-8397 京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3 |
連絡先 | 075-861-0435 |
創建 | 1596年 |
開基 | 日禎(にっしん) |
宗派 | 日蓮宗(にちれんしゅう) |
ご本尊 | 十界大曼荼羅(じっかいだいまんだら) |
拝観時間
通常 | 9:00~17:00(受付は16:30まで) |
夜間特別拝観 | 17:00~20:30(受付は20:00まで) |
*京都嵐山花灯路の開催に合わせて、夜間特別拝観が行われる場合があります。
拝観料
中学生以上 | 500円 |
小学生 | 200円 |
お寺のWebサイト
その他注意点
・上記情報は2019年12月に訪れた際のものであり、変更されている可能性があります。
・写真/動画撮影可能な場所や、一脚/三脚の利用可否は必ず係員に確認しましょう。
・神社やお寺の正式な参拝方法は以下の記事を参考にしてくださいね。
では次に、常寂光寺の見どころを訪問時の写真を参考に振り返ってみたいと思います!
常寂光寺の見どころ
「*」のついている見どころは、有料エリアです。
常寂光寺の最寄り駅は嵐山(あらしやま)駅です。
阪急の嵐山駅からは徒歩約40分(約2km)、嵐電の嵐山駅からは徒歩約20分(約1km)です。
今回私は阪急の嵐山駅から徒歩で向かいました。
行き方は「常寂光寺への行き方/アクセス方法」で詳しく説明していますのでご覧くださいね。
嵐山のお土産屋さんが並ぶメインストリートや有名な竹林を通って行くことも出来ますので、ぜひ風情ある嵐山の町並みを散策しながら向かうことをお勧めします。
歩くこと約40分、常寂光寺の山門が見えてきました。
では早速入り口の受付で拝観料を支払い、中にお邪魔したいと思います!
ちなみに、御朱印はこの受付にて頂くことが出来ます。
山門
常寂光寺の扁額がかかる山門(さんもん)は、江戸時代後期に再建されたものです。
昔は門に沿って長い土塀で囲われていたらしいですが、今やその姿はなく板柱で出来た門の隙間から境内が伺い知れる解放的な入り口になっていますね。
因みに、常寂光寺の名前は常寂光土(じょうじゃくこうど)という仏教用語に由来しています。
これは「仏の悟り(心理)が具現化した素晴らしい地」だそうで、この常寂光寺の境内をそんな常寂光土に重ねることでつけられた名前なんだとか。
仁王門*
入口の山門を抜けて境内を進むとまず見えてくるのが、この仁王門(におうもん)です。
茅葺きの屋根が非常に特徴的ですね!
開山の日禎(にっしん)が住持を務めた本圀寺(ほんこくじ)の客殿の南門を、江戸時代の1616年にこの地に移築したものです。
そもそもの建立は室町時代の貞和年間(1345〜1349)であり、常寂光寺の境内では一番古い歴史を持つ建築物です。
仁王門の両脇には、運慶(うんけい)の作とも言われる阿吽の仁王像(におうぞう)が境内を守護しています。
眼の部分は後世のものでしょうか、ものすごい眼力です!
そのため、この仁王門像は目と足腰の病にご利益があるとされています。
本堂*
仁王門を抜けると長い階段があり、この一段上がった部分に本堂があります。
こちらが本堂(ほんどう)です。
慶長年間(1596年~1615年)の建立で、豊臣秀吉の居城であった伏見城(ふしみじょう)の客殿をこの地に移築したものです。
屋根の部分が、とても珍しい本瓦葺きの二層屋根の構造になっていますね!
本堂の扁額の文字はかすれていて良く判別できませんが「御祈禱處(ごきとうどころ)」でしょうか?
妙見堂*
本堂の左手にある建物が妙見堂(みょうけんどう)です。
その名の通り、北極星や北斗七星を神格化したとされる妙見菩薩(みょうけんぼさつ)を祀ります。
この常寂光寺の妙見宮は、古来より開運厄除けにご利益があるとされてきた洛陽十二支妙見(らくようじゅうにしみょうけん)のうち、西方の「酉(とり)」を司るお宮です。
多宝塔【重要文化財】*
妙見宮のそばの参道をさらに上に上っていくと、丁度本堂の裏手のあたりに多宝塔(たほうとう)が見えてきます。
江戸時代の1620年の建立当時からこの地にある高さ約12mの立派な塔で、国の重要文化財にも指定されています。
扁額の文字は…、うーんちょっとかすれすぎていて分かりません。(苦笑)
どなたかご存知の方は教えて下さいませ。
多宝塔の内部は非公開ですが、中には釈迦如来(しゃかにょらい)が祀られているんだとか。
一段登った場所から多宝塔を眺めてみました。
上から見ると、相輪(そうりん)が良く見えますね。
開山堂*
多宝塔の東側にある比較的新しめの建物が、開山堂(かいざんどう)です。
展望台*
多宝塔や開山堂から境内をさらに上に登っていくと、その頂上には展望台(てんぼうだい)があります。
あまり知られていない場所ですがその眺望は素晴らしいの一言、京都を取り囲む山々や街並みが一望できます!
藤原定家(ふじわらのさだいえ)も、こうした素晴らしい光景を眺めつつ百人一首を選定していったんでしょうか。
歌仙祠*
展望台から一段下った場所には、小倉百人一首にゆかりの深い藤原定家(ふじわらのさだいえ)と藤原家隆(ふじわらのいえたか)を祀る歌仙祠(かせんし)が佇んでいます。
現在の建物は1994年の平安遷都1200年記念事業の一環で建立されたもので、掲げられている扁額の文字は、日本最後の文人とも評される富岡鉄斎(とみおかてっさい)によるものです。
時雨亭跡*
歌仙祠から更に一段下りた場所には、ここが時雨亭跡(しぐれていあと)であることを示す石碑が建てられています。
昭和初期までは江戸時代より残る庵室があったそうですが、残念ながらその後の台風などの災害で倒壊してしまったんだとか。
鐘楼*
本堂に戻り今度は右手の方向に足を進めると、江戸時代の1642年に建立された鐘楼(しょうろう)が見えてきます。
庫裏*
本堂の右手に連なる建物が、庫裏(くり)です。
これで寂光寺の境内をぐるりと一周したことになります。
黒べえ*
常寂光寺のご住職がとても可愛がられている黒猫の「黒べえ」。
忘れてはいけない常寂光寺のもう一つの見どころ?です。(笑)
この黒べえは、あの動物写真家・岩合光昭さんが京都に撮影に来た際に被写体の一匹になった猫ちゃん。
いつも境内を自由気ままに散歩しているので、会えるかどうかは運次第です!
これで、常寂光寺の主な見どころを全て見ることが出来ました!
私は何度も常寂光寺さんを訪れていますが、いつお伺いしてもその四季折々に変わる境内の表情に驚かされます。
また、昨今の嵐山は観光客の激増で大変な混雑になっていますが、この常寂光寺の境内は有料拝観のせいかそれほどの混雑もなくゆっくりと過ごせるため、とてもおすすめのお寺さまです。
皆さんも是非行ってみてくださいね!
常寂光寺のライトアップ(京都・嵐山花灯路)
この常寂光寺は毎年12月中旬にかけて開催される「京都・嵐山花灯路」のイベント会場になる場合があり、その場合は夜間特別拝観が催され境内が幻想的にライトアップされます。
期間中に常寂光寺へお出かけの場合は、ぜひ昼間だけでなく夜にも訪れてみてください。
(ただし、安全性の都合上多宝塔や展望台などの境内の高所には上がれません。)
常寂光寺の紅葉
この常寂光寺は、秋の紅葉の名所としても知られています。
紅葉の見ごろは、毎年11月下旬から12月上旬です。
常寂光寺の動画
常寂光寺の写真
常寂光寺の御主題(御朱印)
常寂光寺では、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」の御主題と、法華経などで説かれる言葉の一つ「唯佛与佛(ゆいぶつよぶつ)」の御朱印を頂きました。
御朱印の文字は季節や訪問時によって変わるそうで、入り口の受付で頂くことが出来ます。(300円)
常寂光寺への行き方/アクセス方法
最寄り駅は阪急嵐山線 嵐山(あらしやま)駅、嵐電 嵐山(あらしやま)駅、JR嵯峨野線(山陰本線) 嵯峨嵐山(さがあらしやま)駅です。
大阪駅(梅田駅)からは「阪急嵐山線 嵐山駅」、京都駅からは「JR山陰本線 嵯峨嵐山駅」の利用が便利です。
また京都駅や京都河原町駅、祇園四条駅からバスで行くことも出来ますが、嵐山駅の渋滞にはまる可能性があるので、なるべく電車で行かれることをお勧めします。
大阪梅田駅から嵐山駅へのルート例(電車)
①阪急京都線で「大阪梅田駅」から「桂駅」へ行き、阪急嵐山線に乗り換え。
②阪急嵐山線で「桂駅」から「嵐山駅」へ。
なんば駅から嵐山駅へのルート例(電車)
①大阪メトロ御堂筋線で「なんば駅」から「梅田駅」へ行き、阪急京都線に乗り換え。
②阪急京都線で「大阪梅田駅」から「桂駅」へ行き、阪急嵐山線に乗り換え。
③阪急嵐山線で「桂駅」から「嵐山駅」へ。
京都駅から嵯峨嵐山駅へのルート例(電車)
①JR嵯峨野線(山陰本線)で「京都駅」から「嵯峨嵐山駅」へ。
嵐山駅からの徒歩ルート例
阪急の嵐山駅からは徒歩約40分(約2km)、嵐電の嵐山駅やJR嵯峨嵐山駅からは徒歩約20分(約1km)です。
京都駅からバスに乗る場合
「京都駅前 乗り場C6」から京都市バス「28系統」に乗車、「嵯峨小学校前」で下車。
バス会社:京都市バス
行先・系統:28系統[嵐山・大覚寺行き]
乗車バス停:京都駅前[乗り場C6]
降車バス停:嵯峨小学校前
運賃:230円
所要時間:約48分
京都河原町駅からバスに乗る場合
「四条河原町 乗り場D」から京都市バス「11系統」に乗車、「嵯峨小学校前」で下車。
バス会社:京都市バス
行先・系統:11系統[嵐山・嵯峨・山越行き]
乗車バス停:四条河原町 乗り場D
降車バス停:嵯峨小学校前
運賃:230円
所要時間:約47分
祇園四条駅からバスに乗る場合
「四条京阪前 乗り場C」から京都市バス「11系統」に乗車、「嵯峨小学校前」で下車。
バス会社:京都市バス
行先・系統:11系統[嵐山・嵯峨・山越行き]
乗車バス停:四条京阪前 乗り場C
降車バス停:嵯峨小学校前
運賃:230円
所要時間:約50分
タクシーで行く場合
京都駅から:約5,000円(約30分)
嵐山駅から:約1,000円(約10分)
・タクシー運転手に行き先を告げたい場合
・タクシーを呼びたい場合
・タクシー配車連絡先(京都駅周辺)
・タクシー配車連絡先(嵐山駅周辺)
周辺のホテル検索/予約
日時を選択してクリックすれば、周辺ホテルの「最安値プラン」を自動的に検索します。
いかがでしたか?
それでは楽しい旅を!