光明院(こうみょういん)は京都市東山区にある東福寺の塔頭(たっちゅう)寺院です。
(東福寺には20を超える塔頭寺院があります。このお寺の他に公開されている有名な塔頭寺院としては、芬陀院や霊雲院などがあります。)
その歴史は古く、明徳2年(1391年)に金山明昶(きんざんみょうしょう)により創建されました。
(金山明昶は室町時代の臨済宗の僧で、東福寺の第七十世住持でした。)
このお寺の見どころは何と言っても枯山水の日本庭園!!
日本庭園の名は「波心庭(はしんてい)」。
昭和時代の名作庭家である「重森三玲(しげもりみれい)」により作庭された有名な日本庭園です。
(彼は「昭和時代の雪舟」とも呼ばれていました。)
重森三玲が作庭した庭は、どれも力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園が特徴的であるとされています。
彼の代表作には、この庭の他に、東福寺方丈庭園や大徳寺山内瑞奉院庭園、松尾大社庭園などがあります。
また、このお寺は四季折々でその表情を変えることから、「虹の苔寺」とも呼ばれ親しまれています。
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Contents:
1.光明院について
東福寺塔頭。1391年(明徳2)金山明昶の開創。方丈前の庭園は波心の庭。池泉式の枯山水で、州浜型の枯池に三尊石組を配し、背後にサツキやツツジを雲紋になぞらえて刈り込み、雲の上に茶亭蘿月(らげつ)庵があり、月が昇る姿を形どる。入り口に雲嶺の庭がある。建立:1391(明徳2)年
引用(citation):https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000063
開門時間:日没まで
参拝料:志納(300円程度から)
住所:〒605-0981 京都府京都市東山区本町15-809
連絡先:075-561-7317
光明院は臨済宗東福寺派の寺院です。摩利支尊天(まりしそんてん)を祀っています。
このお寺は明治時代初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により一時廃れましたが、明治時代後期の1911年に再興されました。
よって、このお寺の建物や日本庭園は基本的に明治後期から昭和にかけてのものです。
このお寺には特に決められた入場料がありません。また、受付もありません。
玄関にある竹筒に自分の志に見合う金額を入れて入場するシステムです。
(これを志納(しのう)と言います。)
*目安としては300円~、といった感じです。
では入口から中に入ってみましょう。
「観庭楼(かんていろう)」と呼ばれている茶室から境内に入ります。
2.昭和時代を代表する枯山水庭園:波心庭
Youtube:光明院 波心庭(Hashintei (Dry pond garden) of Komyo-in Temple)
茶室と方丈の前に広がるのが波心庭(はしんてい)です。
昭和の時代を代表する作庭家である「重森三玲(しげもりみれい)」により作庭された、枯山水の名園です。
庭の背後にある躑躅(ツツジ)の大刈り込みが「雲」を、白砂は「大海原」を表現しています。
庭の名前である「波心」とは、「雲ハ嶺上ニ生ズルコトナク、月ハ波心ニ落ツルコト有リ」という禅の言葉に由来しています。
意味としては「煩悩という雲を捨て去れば空は晴れ渡り、仏心という月が波間に映るぜ!!」といったとこでしょうか?
白砂の模様と波紋が大海原をうまく表現していますよね。d(*゚ー゚*)
配置されている大小75個の石は、このお寺の寺号でもある「光明」が放射状に放たれている様を表現しているそうです。
奥に見える3つの大きな石は「三尊石組(さんぞんいわぐみ)」と呼ばれる石組みの手法です。
3つの石がそれぞれ釈迦三尊、阿弥陀三尊、薬師三尊を表現しています。
こちらはこのお寺の方丈(ほうじょう)です。
方丈の縁側は開放されており、座りながらゆっくりと庭園を楽しむことが出来ます。d(*゚ー゚*)
3.光明院の御朱印
光明院には御朱印はありません。
4.光明院の行き方&周辺MAP
光明院の最寄り駅は「京阪本線 鳥羽街道駅」です。
徒歩約10分です。
いかがでしたか?
比較的新しい昭和の時代に作庭された庭園は、斬新かつモダンな必見の庭園です。
是非行って見て下さいね。d(*゚ー゚*)
それでは楽しい旅を!( *´艸`)
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