北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社です。
その歴史はとても古く、平安時代の947年創建、なんと千年以上の歴史を誇ります!
天神様の二つ名を持つ学問の神様、菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る、全国に一万以上ある天満宮や天神社の総本社!でもあります。
まさに、日本の天神信仰(てんじんしんこう)の中心となる社なんですね!
境内には大きな梅苑やもみじ苑があり、京都の梅と新緑、紅葉の名所としても知られています。
そんな北野天満宮の見どころは、「絢爛豪華な桃山文化の名残を伝える、国宝の社殿」!
本殿と拝殿が一体化した社殿には、極彩色の彫刻がたくさん施されおり、当時の華やかな文化を思い描くことができます。
また、毎月25日は「天神さんの日」として数多くの露天が立ち並び、夜にはライトアップもされますよ。
今回はそんな北野天満宮を訪れてみました。
北野天満宮の歴史
では、まずはじめに北野天満宮の歴史を一緒に見て行きましょう!
北野天満宮は、平安時代の947年(天暦元年)に菅原道真(すがわらのみちざね)を祀るため、朝日寺の僧・最珍(さいちん)などにより造営されました。
ちなみに、「朝日寺」というお寺は「東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ)」と名前を変え、今でも北野天満宮の境内南側にあります。
日本において、菅原道真公をお祀りする神社を「天満宮(てんまんぐう)」と言いますよね。
これは、道真公の神様としての名前、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)という神名に由来しています。
ではなぜ道真公は神様となり、これほど手厚く祀られるようになったのか?
それは、道真公の死後に起こった数々の異変が関係しているんだとか。
道真公は、北野天満宮が造営される少し前の903年(延喜3年)に政争に負け京都を追放、大宰府(福岡県太宰府市)でその生涯を終えます。
それからと言うもの、京都では要人の死や落雷などの異変が相次ぎ、こんな噂が流れるようになりました。
「これって、道真公の怨念なんじゃね!?やばくね!?」
こうして、道真公の怨念を鎮めるためこの地に北野天満宮が造営されることになったんです。
ちなみに、元々この地には地主様を祀る「地主神社」がありました。
そんな地主様を無視することはできませんので、北野天満宮の本殿は地主神社の脇に建てられることになりました。
これが後の「天神さんの七不思議」の一つ、「筋違いの本殿」につながるんですね。
その後、祟りを恐れる朝廷や藤原氏の厚い信仰を得て、正式に「北野天満天神(きたのてんまんてんじん)」という神号を授かり、有力神社の代表格である二十二社(にじゅうにしゃ)の一社として栄えます。
閑話休題。
道真公や天満宮と言えば、「天神/雷神」、「梅」、「牛」というキーワードが必ず出てきますよね。
これらの関連性についても、ぜひ覚えておきましょう!
そもそも道真公は「雷神=天神」と同一視され、その信仰を「天神信仰(てんじんしんこう)」と言います。
これは、先述の「道真公が亡くなったら、落雷などの異変が相次いだ!」という古事に由来します。
そんな道真公が遺した辞世の句は以下の通り。
「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」
現代風に意訳すると、こんな感じでしょうか。
「梅の花よ、春の東風が吹いたら素敵な香り届けておくれ。たとえ私がいなくなっても、春を忘れないでおくれよ・・・。」
世に言う「飛梅伝説」で知られる梅を詠んだ切ない歌ですね。
こんな故事から、この天満宮には道真公が愛した梅がたくさん見られるようになりました。
北野天満宮の御神紋も、「星梅鉢紋(ほしうめばちもん)」という梅の花の御紋です。
そんな名句を遺した道真公は傑出した文化人でもあったため、「学問の神様」としても祀られるようになりました。
また、道真公の生まれは乙丑(きのとうし)の生まれであり、牛に関する数々の逸話もあります。
このため、牛は道真公の神の使いとして天満宮に多く祀られるようになったんです。
さて、歴史の続きを見て行きましょう!
室町時代に入り、北野天満宮では独占していた麹(こうじ)の製造販売を巡り、室町幕府三代将軍の足利義満(あしかがよしみつ)と対立したことでその勢力を弱めます。
これは「文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)」と呼んだりします。
しかし、ここで道真の呪い伝説が再び沸き上がります!
「天満宮が京都に無いと、また道真公の呪いがあるんじゃね!?」
そんな道真公の威光?呪い?により、北野天満宮はめでたく室町時代後半にかけて徐々に社力を戻していきます。
また、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が天下統一を成し遂げた安土桃山時代には、あのイベントが開催されることに!
それが世に有名な「北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」。
この日本最大級のお茶会の開催場所が、何を隠そうこの北野天満宮だったんですね。
その後の江戸時代、学問の重要性が高まり全国各地に「寺子屋(てらこや)」ができると、必然的に学問の神様である道真公の信仰が決定的になり、全国に天満宮や天神社が設営されることとなりました。
この北野天満宮でも、江戸時代の1607年(慶長12年)に賢覧豪華な国宝の社殿も完成し、現在に至るという流れです。
(上記内容には諸説ありますので、ご了承ください。)
おしまい。
北野天満宮について
ホームページ
住所:〒602-8386 京都市上京区馬喰町
連絡先:075-461-0005
創建:947年
主祭神:菅原道真(すがわらのみちざね)
拝観時間
4月~9月 | 10月~3月 | |
楼門の開閉 | 5:00~18:00 | 5:30~17:30 |
社務所・授与所 | 9:00~17:00 |
境内は常時参拝可能ですが、御土居の梅苑やもみじ苑、宝物殿は通常非公開です!
非公開の各施設は、各季節に開催される「特別公開期間」にのみ有料で一般公開される場合があります。
京都の特別拝観情報
その他注意点
・写真/動画撮影可能な場所や一脚/三脚の利用可否は、必ず係員に確認しましょう。
・神社やお寺の正式な参拝方法は以下の記事を参考にしてください。
天神さんの七不思議
北野天満宮には、古来から伝わる「七不思議」があることを知っていますか?
皆さんも、ぜひ全てコンプリートしてみてください!
その一:影向松
入り口の右側にある、ひときわ大きな松の木が「影向松(ようごうのまつ)」です。
北野天満宮の創建時からある御神木だとか!
立冬から立春前日までに初雪が降るとこの地に菅原道真公が降臨されるとの古事があり、その際にはこの松の木で神事が催されます。
その二:筋違いの本殿
普通、神社やお寺では参道の一番奥に「本殿」や「本堂」がありますよね。
だがしかし!
北野天満宮では参道を進んで行くと、摂社である「地主神社」に行き当たっちゃうんです。
本殿は参道の「筋違い」にあるんですね。
これは、北野天満宮が出来る前この地には元々「地主神社」があったため、それに配慮して建てたからなんだとか。
その三:星欠けの三光門
本殿前の中門は「三光門(さんこうもん)」と呼ばれています。
この名前は、「日(太陽)」「星」「月」の三つの紋が施されている事が由来です。
だがしかし!
どこを探しても、「星」の彫刻だけが見当たりません。
これは、「星」は彫刻ではなく夜空に輝く「北極星」を祈りましょう!という古事が理由だとされています。
こんなお話から、この門は「星欠けの三光門」と呼ばれるようになったんだとか。
その四:大黒天の燈籠
先述の三光門の南東の台座に七福神の一尊、大黒天(だいこくてん)が施された燈籠があります。
大黒さまは、言わずと知れたお金のご利益がある神様。
そんな大黒さまの口にうまく小石を乗せられると、金運がアップするんだとか!
その五:唯一の立ち牛
その昔、道真公の亡骸を運んでいた牛が座り込んで動かなくなり、道真公は牛が伏した場所に埋葬された古事があります。
そのため、北野天満宮で祀られている牛の像や彫刻は「伏せ牛」という、伏した形をしています。
だがしかし!
唯一、北野天満宮の拝殿の正面にある牛の彫刻だけは「立ち牛」の姿で彫られているんです。
その理由は一切の謎なんだとか。
これらから、この彫刻は「唯一の立ち牛」と呼ばれているんですね。
その六:御后三柱(裏の社)
通常、私たちは本殿の表側に参拝して神様を拝みますよね?
だがしかし!
北野天満宮には、本殿の裏側に「御后三柱(ごこうのみはしら)」という神様を奉じる神座があるんです。
御后三柱とは、道真公のご先祖「天穂日命(アメノホヒノミコト)」、祖父「菅原清公(すがわらのきよきみ)」、父「菅原是善(すがわらのこれよし)」です。
古来より天満宮に参拝する折には、表である菅原道真公だけでなく、裏の御后三柱も一緒に礼拝することが決まりだったんだとか。
その七:天狗山
境内の北西には、天狗山(てんぐやま)という小さな山があります。
その昔、この小山のある場所には烏天狗(からすてんぐ)が出没していたんだとか!
小山の前面には、ひとなですると必ず一つ願いが叶うという「一願成就のお牛さま」が奉じられています。
北野天満宮の見どころ
- 一の鳥居
- 撫で牛
- 楼門
- 三光門【重要文化財】
- 社殿【国宝】
- 回廊【重要文化財】
- 東門【重要文化財】
- 後門【重要文化財】
- 透塀【重要文化財】
- 北門
- 絵馬所
- 神楽殿
- 宝物殿*
- 梅香水 (手水舎)
- 御土居【史跡】*
- 御土居の大欅「東風」*
- 梅苑/もみじ苑*
- 茶室 梅交軒*
- 茶室 松向軒
- 太閤井戸
*のついている見どころは有料エリアです。
一の鳥居
1921年(大正10年)の建立。
額の文字は、閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)の筆です。
撫で牛
境内には、道真公の神の使いである「撫で牛」がたくさん鎮座しています。
一つ一つ表情が違ったり、親子の牛だったりと、その違いを見つけるのもまた楽しいですよ!
楼門
二階建ての桃山時代の建築様式で、「文道大祖 風月本主(ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)」の額が飾られています。
平安時代の学者が道真公を称えた言葉で、「学問や文学を始めた人物、漢詩や和歌に長けた人物」という意味があるそうです。
三光門【重要文化財】
江戸時代初期の1607年(慶長12年)、豊臣秀吉の三男であった豊臣秀頼(とよとみひでより)の寄進による建立と伝わります。
「天満宮」の額は、後西天皇(ごさいてんのう)筆です。
「星欠けの三光門」として、「天神さんの七不思議」の一つに数えられています。
社殿【国宝】
三光門と同じく、江戸時代初期の1607年(慶長12年)に豊臣秀頼(とよとみひでより)の寄進による建立と伝わります。
本殿と拝殿、石の間、楽の間が全て連結された、日本最古の権現造(ごんげんづくり)の建物です。
当時の桃山文化がどれほど絢爛豪華だったか、良く分かりますね!
回廊【重要文化財】
こちらも社殿と同じく、江戸時代初期の1607年(慶長12年)に豊臣秀頼(とよとみひでより)の寄進による建立と伝わります。
三光と社殿を取り囲むように作られ、東回廊と西回廊の二つに分かれています。
東門【重要文化財】
こちらも社殿と同じく、江戸時代初期の1607年(慶長12年)に豊臣秀頼(とよとみひでより)の寄進による建立と伝わります。
切妻造り、四脚門(よつあしもん)の建築様式です。
後門【重要文化財】
こちらも社殿と同じく、江戸時代初期の1607年(慶長12年)に豊臣秀頼(とよとみひでより)の寄進による建立と伝わります。
檜皮葺(ひわだぶき)、一間一戸の平唐門の建築様式です。
本殿の裏側にあたり、御后三柱(ごこうのみはしら)を祀る神座がのしつらえがあります。
裏の社(うらのやしろ)として、「天神さんの七不思議」の一つに数えられています!
透塀【重要文化財】
こちらも社殿と同じく、江戸時代初期の1607年(慶長12年)に豊臣秀頼(とよとみひでより)の寄進による建立と伝わります。
本殿を囲むようにある透塀(すきべい)は、桧皮葺の屋根に極彩色の欄間、朱塗りの連子窓というとってもゴージャスな造りです!
ちなみに「透(すきとおる)」と書きますが、この透塀は透けては見えない造りになっています。
北門
四脚門(よつあしもん)の建築様式です。
前方を守護する狛犬はうなりをあげるポーズで、「出雲構え獅子」と言う分類だそうです。
絵馬所
江戸時代の1699年(元禄12年)の建立と伝わります。
文化人であった菅原道真を祀る地らしく、絵馬所としては最大の規模と歴史を誇るそうで、京都市指定有形文化財にも指定されています。
現在では、休憩所や特別公開時の御朱印受付所としても使われています。
神楽殿
菅原道真公は「6月25日」に生まれ、「2月25日」に亡くなりました。
よって、毎月25日は「天神さんの日」とされ、縁日が開催されます。
この神楽殿(かぐらでん)では優美な神楽舞が奉納されます。
宝物殿*
極彩色の装飾が施された宝物殿(ほうもつでん)には、国宝の「北野天神縁起絵巻 承久本」をはじめ、数々の宝物が収蔵されています。
通常は非公開で、内部は毎月25日の「天神さんの日」と梅苑やもみじ苑の開放時期など期間限定で公開されます。
梅香水 (手水舎)
北野天満宮では、豊臣秀吉が北野大茶会(きたのおおちゃのゆ)を開催したことからも分かるとおり、昔から綺麗な水が湧き立つ地だったそうです。
手水舎には、天満宮の梅にあやかって「梅香水」の文字が刻まれています。
御土居【史跡】*
御土居(おどい)は、豊臣秀吉が京都防衛のため安土桃山時代の1591年(天正19年)に作らせた土塁です。
元々は、南北約8.5km、東西約3.5kmもあった京都市内を取り囲む大きさだったと言います。
そんな御土居の名残がこちらなんですね。
ここにはもみじ苑がありますが、新緑(5月頃)と紅葉(10月~12月頃)の季節限定の公開です。
御土居の大欅「東風」*
この御土居にある大ケヤキは、樹齢600年を誇るんだとか!
豊臣秀吉がこの御土居を築くよりずっと前からこの地にあるんですね。
この京都から、菅原道真公が眠る太宰府の地に「東風」を吹かせるという故事により、「東風(こち)」という名がつけられています。
梅苑/もみじ苑*
梅苑は毎年2月~3月、御土居のもみじ苑は毎年5月と10月下旬~12月上旬の期間限定公開です。
茶室「梅交軒」*
御土居の中にある茶室 「梅交軒(ばいこうけん)」では、紅葉のシーズンに実際にお茶を楽しむことが出来ます。
茶室「松向軒」
豊臣秀吉が北野天満宮で大茶会を催した折に、細川ガラシャの夫として有名な細川忠興(ほそかわただおき)が作った茶室をこの地に復元したものです。
向かいに「天神さんの七不思議」の一つ「影向松(ようごうのまつ)」がそびえるため、「松向軒(しょうこうけん)」の名が付きました。
太閤井戸
太閤井戸(たいこういど)は、北野大茶会(きたのおおちゃのゆ)の際に実際に茶をたてるお水を汲んだと伝わる井戸です。
北野天満宮の摂末社
北野天満宮の境内にはたくさんの摂末社(小さな神社)があり、それぞれ神様やご利益が異なります。
ここでは、北野天満宮にある代表的な摂末社をまとめてみました。
伴氏社
御際神:菅原道真公の母君
ご利益:「子供の成長」「学業成就」
一の鳥居から入った参道の左手に鎮座します。
道真公の母君が「大伴氏(おおともうじ)」の出身のため、伴氏社(ともうじしゃ)と名づけられたそうです。
神前の石鳥居は蓮の形をした台座がある珍しい作りのため、京都三珍鳥居の一つと数えられています。
火之御子社
御際神:火雷神
ご利益:「雷除け」「五穀豊穣」
三光門の手前に鎮座する四社の一つ。
北野天満宮ができる以前の947年以前に、雷や火災から守護する「北野雷光(きたのらいこう)」として既にこの地で祀られていた神様だそうです。
白太夫社
御際神:渡会春彦
ご利益:「子授け」
三光門の手前に鎮座する四社の一つ。
若い頃より白髪だったがゆえ、白太夫(しらだゆう)の二つ名を持つ菅原道真の従者、渡会春彦(わたらいはるひこ)を祀ります。
この渡会春彦が、伊勢神宮にお世継ぎ祈願をしたことで道真公が誕生したことから、子授けの神として崇められているんだとか。
老松社
御際神:島田忠臣
ご利益:「植林」「林業」
三光門の手前に鎮座する四社の一つ。
道真公の教育担当だったとされる、島田忠臣(しまだのただおみ)を祀ります。
道真公の魂を降臨させるために松の木を植樹した人物と言われ、林業の神様として崇められています。
福部社
御際神:十川能福
ご利益:「開運招福」
三光門の手前に鎮座する四社の一つ。
道真公の舎人(牛の世話人)だったとされる、十川能福(そごうのうふく)を祀ります。
その縁起の良い名前から、開運招福を司る「福の神」として崇められています。
地主神社
御際神:天神地衹
ご利益:「招福」「交通安全」「諸願成就」
社殿の奥に鎮座します。
北野天満宮の創建以前の平安時代初期、836年(承和3年)に創建されました。
遣唐使(けんとうし)の安全祈願のため、日本の全ての神様である天神地衹(てんじんちぎ)を祀ったことが起こりです。
この神社が当地にあったことから、天神さんの七不思議の一つ「筋違いの本殿」が生まれました。
文子天満宮
御際神:菅原大神(菅原道真)
ご利益:「入試」「学徳成就」
北門の近くに鎮座します。
菅原道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)を祀ります。
天満宮の起こりは、元々この多治比文子が神託を受けて自分の自宅に道真公を祀ったことに始まります。
この自宅が「文子天満宮(あやこてんまんぐう)」と呼ばれるようになりました。
竈社
御際神:庭津彦神/庭津姫神/火産霊神
ご利益:「台所の守り神」
東門の近くに鎮座します。
御祭神の「庭津神」は、「庭」=「家庭」の意味を持つ「家庭の神様」です。
また、家庭の「竈(かまど)」=「台所」では火の災いが多いことから、火を司る「火産霊神」を合祀することで「台所の神様」となりました。
野見宿祢神社
豊国神社
一夜松社
御際神:野見宿弥/豊臣秀吉/一夜千松霊
ご利益:「武芸・スポーツ上達」/「開運・立身出世」/「延命長寿」
境内の西側に鎮座する、三神を合祀した末社です。
野見宿禰(のみのすくね)は、道真公の先祖であり、武芸全般に通じた人物だったそうです。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)は、言わずもがな平民から天下統一を成し遂げた立身出世の英傑ですね。
一夜千松霊(いちやせんまつのれい)は、「私の魂を祭る場所には、一夜にして千本の松が生じる」という道真公のお告げに由来します。
一之保神社
奇御霊神社
御際神:菅原大神/道真公の奇御霊
ご利益:「学業成就」/「文芸・歌道上達」
境内の西側に鎮座する、二神を合祀した末社です。
かつてこの地には、北野七保という神域がありその神域ごとに道真公を祀る神社があったそうです。
一之保神社(いちのほじんじゃ)は、この一之保御供所の名残と言われています。
奇御霊(くしみたま)は奇跡を呼ぶ神霊を指す言葉です。
道真公もまた、「一日で禅の奥義を習得したという奇跡」の逸話があるため、その魂は奇御霊として崇められているんですね。
稲荷神社
御際神:倉稲魂神/猿田彦命/大宮女命
ご利益:「五穀豊穣」/「商売繁盛」/「火難除け」
先述した一之保神社の脇に鎮座する、三神を合祀した末社です。
稲荷神社の名前の通り、五穀豊穣のお稲荷様として有名な倉稲魂神(うかのみたまのかみ)を中心とする、稲荷三神を合祀しています。
また、その昔この地で火事が起きた際に、稲荷神社の手前で火事が収まったことから「火難除け」のご利益があるともされています。
猿田彦社
御際神:猿田彦神/大宮売神
ご利益:「芸能/舞踏上達」
先述した稲荷神社の脇に鎮座する、二神を合祀する末社です。
猿田彦神(さるたひこのかみ)は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨(てんそんこうりん)した際に先導を務めた神様です。
大宮売神(おおみやのめのかみ)は、天岩戸に隠れた天照大神(あまてらすおおかみ)を優美な踊りでなぐさめたとされる神様であり、この逸話が神社のご利益につながります。
宗像社
御際神:田心媛神/湍津姫神/市杵島姫神
ご利益:「交通・海上運輸安全」
絵馬所の脇に鎮座する、三神を合祀する末社です。
福岡県の玄界灘(げんかいなだ)の沖合いに浮かぶ島に祭られる、「宗像の三女神」と呼ばれる三神を合祀しています。
古来より玄界灘は交通の要所、その海上交通の安全を守護するのが「宗像の三女神」と言われており、この逸話が神社のご利益につながります。
大杉社
先述した宗像社の脇に鎮座する、末社です。
推定1000年を超える樹齢を誇っていた、神木の大杉を祀っています。
落雷により、現在はその幹だけが残されています。
北野天満宮の動画
北野天満宮の写真
北野天満宮の御朱印
北野天満宮の御朱印は、「北野天満宮(きたのてんまんぐう)」に神紋である「星梅鉢紋(ほしうめばちもん)」の朱印です。
北野天満宮への行き方/アクセス方法
北野天満宮の最寄り駅は、嵐電北野線 北野白梅町駅です。
京都駅からバスで行くことも出来ます。
大阪駅からのルート例(電車)
①JR京都線で「大阪駅」から「京都駅」へ行き、JR嵯峨野線に乗り換え。
②JR嵯峨野線で「京都駅」から「太秦駅」へ行き、嵐電北野線に乗り換え。
③嵐電北野線で「太秦駅」から「北野白梅町駅」へ。
なんば駅からのルート例(電車)
①大阪メトロ御堂筋線で「なんば駅」から「梅田駅」へ行き、JR京都線に乗り換え。
②JR京都線で「大阪駅」から「京都駅」へ行き、JR嵯峨野線に乗り換え。
③JR嵯峨野線で「京都駅」から「太秦駅」へ行き、嵐電北野線に乗り換え。
④嵐電北野線で「太秦駅」から「北野白梅町駅」へ。
京都駅からのルート例(電車)
①JR嵯峨野線で「京都駅」から「太秦駅」へ行き、嵐電北野線に乗り換え。
②嵐電北野線で「太秦駅」から「北野白梅町駅」へ。
「北野白梅町駅」からの徒歩ルート例
徒歩約10分(約400m)です。
京都駅からバスで行く場合
「京都駅前バス停B2乗り場」から京都市バス「50系統」か「101系統(急行)」に乗車、「北野天満宮前」で下車。
バス会社:京都市バス
行先・系統:50系統[立命館大学行き] /101系統(急行 Exp.)[二条城・北野天満宮・金閣寺行き]
乗車バス停:京都駅前[乗り場B2]
降車バス停:北野天満宮前
運賃:230円
所要時間:約30分
[時刻表]50系統[立命館大学行き]
[時刻表]101系統(急行)[二条城・北野天満宮・金閣寺行き]
タクシーで行く場合
京都駅から:約2,700円 (約30分)
祇園四条駅から:約2,300円(約20分)
・タクシー運転手に行き先を告げたい場合
・タクシーを呼びたい場合
[タクシー配車連絡先: 京都駅周辺]
北野天満宮周辺のホテル検索/予約
日付を選択して検索すれば、北野天満宮周辺ホテルの最安値プランを表示します。
いかがでしたか?
それでは楽しい旅を!