京都において、かの比叡山(ひえいざん)と並び称される信仰の山である愛宕山(あたごやま)。
愛宕神社(あたごじんじゃ)は、この京都市内における最高峰の山の頂きに鎮座する神社です。
全国各地に約900社ある「愛宕神社」の総本社でもあり、神産みのイザナミや火の神様であるカグツチをはじめとした日本神話の数々の神様を祀ります。
「伊勢へ七度、熊野へ三度、愛宕さまへは月参り」
弥次さんと喜多さんが織りなす珍道中を書いた十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の滑稽本、「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」の一節にもこう書かれている通り、ここは身近な信仰の拠り所として古来より親しまれてきました。
しかしながら、標高924mの頂きへと至る参道は険しい山道が続き、京都市内では一番参拝が大変な神社の一つとしても知られます。
その過酷さから、この愛宕神社への参拝は「登拝(とうはい)」と呼ばれるほど。
そんな愛宕神社の見どころは、「山上の荘厳な境内と、本殿欄間の見事な彫刻」!
険しい参道を登るのはとても大変ですが、その見返りとして広がる山上の荘厳な境内は見るのもを惹きつけてやみません!
今回は、そんな愛宕神社を訪れてみました。
愛宕神社の歴史
では、まずはじめに愛宕神社の歴史と覚えておきたいポイントを一緒に見て行きましょう!
はるか昔、太郎坊(たろうぼう)と呼ばれる大天狗がこの愛宕山の大杉に顕現し、その圧倒的な神通力で日本の天狗の頂点に君臨しました。
そのため、飛鳥時代末期の大宝年間(701~704)に修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ)とその僧・泰澄(たいちょう)が、この大天狗が住まう霊験あらたかなこの地に信仰のための神廟を建立したことがこの神社の起こりです。
大宝年間と言えば、日本で初めての国家の基本法である大宝律令(たいほうりつりょう)が定められた時代。
そんな古くから、この愛宕山は山岳信仰の聖地として崇められてきました。
その後仏教が日本へ広まると共に、ここは大天狗を崇める山岳信仰と、修験道(しゅげんどう)が融合した神仏習合(しんぶつしゅうごう)の霊場として栄えることになります。
神道においては伊邪那美命(イザナミノミコト)が愛宕権現(あたごごんげん)として顕現、仏教においては勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)がこの愛宕信仰のシンボルとして祀られることとなりました。
奈良時代後半の781年には、この霊験あらたかな地を鎮護国家の道場とすべく、光仁天皇(こうにんてんのう)が和気清麻呂(わけのきよまろ)に命じ、この地に愛宕山白雲寺(あたごさんはくうんじ)を創建させ、神仏習合の聖地としての地位が確立されました。
「伊勢へ七度、熊野へ三度、愛宕さまへは月参り!」
この愛宕信仰は上記の一節の通り、日本の数ある信仰地の中でも特に身近な拠り所として栄えました。
因みにこの愛宕神社の前身/白雲寺のご本尊・勝軍地蔵は、その名が示す通り「勝運」を司るお地蔵様。
安土桃山時代には、本能寺の変(ほんのうじのへん)の前に明智光秀(あけちみつひで)がこの愛宕神社を訪れて、何度もおみくじを引いて願掛けをしたんだとか!
そして最終的にはこの地で開催した連歌会にてこんな句を詠み、信長討伐を決意したとも言われます。
「ときは今(いま) 天(あめ)が下(くだ)しる 五月(さつき)かな」
光秀「土岐(とき)氏出身であるこの明智光秀が!」
光秀「この五月に降る雨のごとく!」
光秀「天下に向かって信長討伐の命令を下しちゃうぞ!やっちゃうぞ!」
光秀「おみくじも大吉出るまで引いたし大丈夫やろ…。ボソッ。」
閑話休題。
先述の通り長きに渡り民間の人々や武士に多大な人気を博したこの愛宕信仰ですが、強い信仰の対象ほど弾圧の対象となるのは世の常。
この愛宕信仰も例にもれず、明治時代に入ると神仏分離令(しんぶつぶんりれい)がもたらした廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により前身の白雲寺は取り壊され、愛宕神社に一本化されることになりました。
昭和初期になると、この愛宕山全体が一時的にリゾート開発の拠点として観光地化され、ケーブルカーなどが引かれて繁盛するも、第二次世界大戦の影響により施設は取り壊し、戦後は再び静かな信仰の山となったんだとさ。
おしまい。
愛宕神社について
神社の詳細
住所 | 〒616-8458 京都市右京区嵯峨愛宕町1 |
連絡先 | 075-861-0658 |
創建 | 飛鳥時代 |
創建者 | 役小角(えんのおづぬ)/泰澄(たいちょう) |
主祭神 | 伊邪那美命(いざなみのみこと) 他多数 |
参拝時間
御祈祷やお守り、御朱印の授与は9:00~16:00ごろまで。
拝観料
無料
神社の公式Webサイト
その他注意点
・上記情報は2019年7月に訪れた際のものであり、変更されている可能性があります。
・参道は片道約2時間30分の山道のため、必ず帰りの時間を考慮してから伺いましょう!
・冬季は日が落ちるのが早いため、午後からの参拝は絶対に止めましょう!(帰る途中で真っ暗になります。)
・動きやすい服装はもちろんのこと、防寒着や雨具、飲み水などを必ず準備してから向かいましょう。
・写真/動画撮影可能な場所や、一脚/三脚の利用可否は必ず係員に確認しましょう。
・神社やお寺の正式な参拝方法は以下の記事を参考にしてくださいね。
愛宕神社への参拝ルートの詳細と注意点
この愛宕神社の境内は、標高が924mある愛宕山のほぼ山頂に位置しています。
京都市側からの参拝ルートとしては、上記の画像にもある通り主に3つのルートがあります。
①表参道(清滝)ルート
②月輪寺参道ルート
③大杉谷道ルート
いずれのルートも片道約4km(徒歩で約2時間30分)の道のりのため、午後からの入山では明るいうちに帰ってこられない可能性があります。
参道は年に一度の千日参りの日以外は照明が一切点くことは無く、特に冬場は16:00を過ぎると既に暗くなるため、冗談抜きで「遭難」の可能性があります。
それが証拠に、この愛宕山では毎年20件ほどの山岳救助要請がされています!
よって、訪れる際は必ず午前中のなるべく早い時間から入山するように注意しましょう!
また、「③大杉谷道ルート」は細く険しい滑落の危険も大きい山道なので、熟練のハイカーさんでもない限りおススメできません。
愛宕神社のみを訪れる場合は「①表参道(清滝)ルート」を往復することを推奨します。
愛宕神社と関係の深い月輪寺(つきのわでら)を一緒に訪れたい場合、行きは「①表参道(清滝)ルート」、帰りは「②月輪寺参道ルート」を通ることを推奨します。
因みに約4kmの山道には、途中に湧き水の水汲み場が1か所あるのみです。
自動販売機は、麓の駐車場の近辺か登り切った先にある神社の社務所にあるのみですので、事前に飲み水を用意しましょう!
今回私は「阪急 嵐山駅」から京都バスで現地へ向かい、「愛宕神社」→「月輪寺」→「空也の滝」の全てを巡るルートを選択しました。
各ルートのスケジュール例を以下に詳細にまとめてみましたので、参考にしてみてください。
【阪急嵐山駅前バス停】→【清滝バス停】までの行程 | |
6:50(平日)/6:45(土)/6:54(休日) 【始発のバスを利用】 |
阪急嵐山駅前バス停を出発 (京都バス/230円/乗車時間約15分) |
7:15頃 | 清滝バス停に到着 |
*清滝行きのバスは、平日、土曜日、休日で少し発車時間が異なります。
*清滝バス停から表参道入口へは徒歩約15分ほどです。
【行き】表参道(清滝)ルート/約4km/約2時間30分 | |
7:30頃 | 二の鳥居(表参道(清滝)ルートの入り口) |
8:00頃 | 茶屋跡の休息所(25丁目) |
8:50頃 | 大杉大神 |
9:10頃 | 水尾分かれ休息所 |
9:40頃 | 黒門 |
10:00頃 | 本殿 |
【愛宕神社にて1時間ほど参拝、休憩】
【帰り】月輪寺参道ルート(空也の滝への往復含む)/約5.3km/約3時間10分 | |
11:00頃 | 月輪寺ルート下山口 |
11:10頃 | 大杉谷ルート分岐 |
11:50頃 | 月輪寺(約20分拝観) |
12:30頃 | 身助地蔵尊 |
12:50頃 | 月輪寺ルート入山口(空也の滝へ) |
13:00頃 | 八大龍王の鳥居 |
13:10頃 | 空也の滝 |
13:30頃 | 月輪寺ルート入山口(空也の滝から) |
14:10頃 | 表参道/清滝ルート入山口 |
まとめ | |
歩行距離 | 約9.3km |
歩行時間 | 約5時間20分 |
ということで、一般的な体力の男性が普通に歩いて「愛宕神社」→「月輪寺」→「空也の滝」を訪問した場合、上記のスケジュールが参考になるかと思います。
山道に慣れていない方や途中で十分な休憩をはさみたい方は、上記に片道+30分~1時間ほど見ておいた方が良いかと思いますので、同じコースで全てを見て回る場合は朝早くから入山しても帰ってくるのは夕方になると思います。
上記を参考に、「愛宕神社への参拝は、なるべく午前中の早い時間に入山すべき!」と言うことがちょっとでもご理解頂ければ嬉しいです!
では次に、愛宕神社の見どころを訪問時の写真を参考に振り返ってみたいと思います!
愛宕神社の見どころ
表参道/清滝ルート(行き)の見どころ
公共交通機関を利用して愛宕神社へ行く場合は、「阪急嵐山駅前バス停」か、「嵐山天龍寺前/嵐電嵐山駅バス停」から京都バス「62/72/92/94系統 清滝行き」に乗車します。
私は今回、「阪急嵐山駅前バス停」から6時台に出発する始発のバスに乗車して向かいました!
参拝に時間がかかることを考えると、遅くとも10時台までのバスに乗車することをお勧めします。
バスに揺られること約15分、愛宕神社の表参道/清滝ルートの最寄りバス停である「清滝(きよたき)バス停」に到着しました!
ここからは徒歩で約15分ほど歩いた先にある、清滝ルート入り口の「二の鳥居」に向かいます。
【「清滝バス停」から「二の鳥居」への行き方詳細はこちらをご覧ください。】
清滝バス停から歩くこと約15分で、表参道/清滝ルートの入り口である二の鳥居が見えてきました!
いよいよここからは、本格的な山道が続く険しい修行の道程となりますので気合を入れて行きましょう!
ちなみに二の鳥居から歩いて5分ほどの場所に「さくらや 青木駐車場」がありますので、自家用車で行く場合はこの駐車場を利用しましょう!
上記の画像では「500円」となっていますが現在は値上がりされていますので、利用される場合はさくらやさんのWebサイトを確認してみてください。
駐車場の脇には綺麗な公衆トイレが完備されています。
これ以降、愛宕神社までの参道にはトイレらしきトイレはありませんので、こちらで用を済ませておきましょう。
駐車場の脇には2台の自動販売機も備わっていました。
参道の山道には湧き水を汲める場所が1か所のみしかありませんので、飲み水を用意していない場合はこちらで買いましょう。
因みに私は初夏の7月に訪れたため、1リットルのペットボトルを持参して行きました!
一の鳥居
二の鳥居があると言うことは、当然この愛宕神社には一の鳥居(いちのとりい)もあります。
ただ、この愛宕神社の一の鳥居は愛宕神社の参道からはるか南、鳥居本という地区の鮎料理で有名な「平野屋」さんという料理屋さんの近辺にあります。
この一の鳥居への距離が、古来よりこの愛宕神社の神域がどれほど広大であったかを物語りますね。
ご興味がある方は、先述のGoogleMapにて場所を確認してみてください。
二の鳥居
さて、見どころの紹介に戻りましょう。
表参道/清滝ルートの入り口に立つ鳥居が、二の鳥居(にのとりい)です。
鳥居の脇に建つ看板には「愛宕神社へ4.3km」と書かれています。
平地の4.3kmだと楽なのですが、「急こう配の山道」と言うのがミソなんですよね…。
では、張り切って参拝を開始したいと思います!
案内看板
表参道を歩き始めてすぐ左手にある看板には、「愛宕さんへは月参り」の文言と、これから続く参道では一丁目ごとにお地蔵様が置かれていることが書かれています。
先ほど紹介した一の鳥居が「一丁目」でゴールの愛宕神社は「五十丁目」、それぞれで置かれているお地蔵様を愛でながら進むのも良いですね!
ちょっと登り始めると、今度は右手に警告の看板が!
「自分で登り、自分で下山する他、手段はなし。」
愛宕神社への参拝は、本当に自己責任の過酷な道であることを物語っていますね!
ちなみに、表参道では嵯峨消防分団さんが設置された「参拝者への応援看板?」的なオレンジ色の看板が約100mごとに置かれており、40枚目の看板がゴールになります。
この看板の内容は1枚1枚全て内容が違うんですが、とにかくその全ての内容が面白く、励ましの内容からおやじギャグ的なものまで多種多彩。
私はこの看板のお陰で最後まで楽しく参拝することができましたので、皆さんも表参道を行く際はこの看板を目印にされるのも良いかもです!
ちょっとこの看板に書かれている面白い内容を全部調べて別記事にまとめてみましたので、ご興味ある方はぜひご覧ください。(笑)
ケーブルカー跡
歩き始めて10分ほどすると、右手に何やら人工的な石の階段らしきものが見えてきました。
調べてみると、こちらはその昔この地で活躍していたケーブルカーの跡地とのこと。
昭和初期、この愛宕山は一時的にリゾート地になり沢山の観光客でにぎわっていた名残なんですね。
そんな栄華な時代も今は昔、現在ここは自分の足で登りきるより他は無い信仰の地に戻ったのでした。
水汲み場
どんどん歩を進めると、今度は湧き水を汲むことができる水汲み場がありました。
訪れたのは初夏の7月だったんですが、驚くほど冷たくて気持ち良い水が流れていました。
飲用がOKかどうかは書かれていませんでしたので、大丈夫とは思いますがこの水を飲まれる場合は自己責任で…。
ただ、この水汲み場はスタート地点からほど近い場所にあったので、もう少し先にあればもっと良かったのに!とも思ったり。
火燧権現跡
水汲み場からさらに歩いた先にある表参道の十七丁目、大きな空洞がある杉の巨木のふもとに火燧権現跡(ひうちごんげんあと)が見えてきました!
元々ここには火の神様である火産霊命(ほむすびのみこと)を祀る朱塗りの社があったそうですが、今は石碑が残るのみとなっています。
また横にある杉の巨木は、その昔この愛宕信仰の元となった大天狗・太郎坊(たろうぼう)が降臨した地ともされているんだとか!
そんな大天狗の霊力を鎮めるためでしょうか、杉の巨木の周囲には沢山の神様の名前が彫られた石碑や鳥居が奉納されていました。
壺割坂
火燧権現跡からさらに1丁進んだ十八丁目に差し掛かると、曲がりくねった旧坂が見えてきました。
愛宕山の山頂は涼しいため、古くから宇治で出来た最高級のお茶の保存場所として使われていたそうです。
江戸時代にそのお茶を徳川幕府に献上するために山頂から運び出す際、ここがあまりにも急な坂のためお茶の壺を何度も割ってしまったことから、この坂には壺割坂(つぼわりざか)と言う名前が付けられたんだとか。
この近辺で、神社の境内まではあと約3.5km。
急こう配が続きますがまだまだ序盤戦、頑張って進みます!
一文字屋跡
表参道の二十丁目まで進むと、一文字屋跡(いちもんじやあと)が見えてきました。
看板にもある通り、現在は清滝バス停横に「一文字屋食堂」として営業されていますが、その昔この地がリゾート地でケーブルカーが引かれていた際は、ここでお茶屋さんを営まれていたんですね。
茶屋跡の休息所
どんどんと歩を進めた二十五丁目付近、ようやく一つ目の休息所(きゅうそくじょ)が見えてきました。
時計がかかっただけの小さな小屋ですが、歩いて疲れた足を休めるには十分です。
ここではちょっとした小休止と水分補給のみで、次に向かいました!
茶屋跡
休息所の近くにはその昔ここに茶屋があったとされる茶屋跡(ちゃやあと)と、それを示す石碑がありました。
ここには現在も麓で営業されている「なかや」という茶屋があったそうで、古典落語の「愛宕山」にもその名が出てくるんだとか。(落語に詳しくないので私は存じ上げないのですが…。)
明治時代にはこの表参道全体で何と19軒もの茶屋があったそうで、この表参道に残る石垣や民家の名残は全てこの昔の茶屋の名残なんですね。
五合目休息所/水口屋跡
お次に見えてくるのは三十丁目付近にある、二つ目の休息所・五合目休息所(ごごうめきゅうそくじょ)です。
先ほどの一つ目の休息所より幾分大きめの休息所ですが、簡素な造りであることは同じです。
この休息所の近辺には、その昔水口屋(みなくちや)という料理旅館があったんだとか。
ケーブルカーが運行されていた昭和初期は、さぞかしこの地は賑やかだったんでしょうね。
と、昔を偲びつつ先に進みたいと思います!
大杉大神
五合目休息所からさらに先に進んだ場所には、この愛宕山の神木として崇められていた大杉大神(おおすぎおおかみ)の無残な姿が…。
2017年の台風21号の被害により完全に倒れてしまったそうで、以前は大杉の下に神様を祀る祠もあったんですが、現在は大杉もろとも倒壊して跡形もありませんでした。
御神木はその生涯の最後に「生者必滅」の言葉を私たちに体現してくれたのかも知れませんね、合掌。
大杉大神のある場所は少し視界が開けており、冬の早朝は雲海を見ることができたりもします。
訪れたのは初夏だったんですが、眼下に雲を拝むことができました!
この近くの道は、土砂崩れの影響で少し道が狭くなっていましたので注意しながら進みます。(2019年7月現在。)
因みにこの大杉大神があった場所は表参道のだいたいの中間地点、あと約半分の道のりを頑張って進みたいと思います!
カワラケ投げ跡
大杉大神に別れを告げてさらに山道を進んでいくと、今度は左手に開けた場所とちょっとした休憩のためのベンチが置かれていました。
ここはその昔、「かわらけ投げ」という遊びが行われていた場所。
このかわらけ投げとは自身の願掛けのために高い場所から小さな盃やお皿を投げる風習の事で、この愛宕神社でもその標高の高さから、かわらけ投げが大人気だったんだとか。
この風習は神護寺(じんごじ)が発祥の地とされており、神護寺では今でもかわらけ投げを体験することができるので、興味があればぜひ訪れてみてください。
水尾わかれ休息所
かわらけ投げの跡地からさらに歩を進めると、この表参道で唯一の分かれ道である水尾わかれ休息所が見えてきました!
看板にある「水尾」方面はこの表参道とは別の登山道である「水尾ルート」につながっており、そのまま行くと山を下ることになってしまいます。
よってここはでは休息所を右折して、愛宕神社の方向に進んでいきます!
小さな矢印の案内板には「愛宕神社→35分」の文字、あともう少しなので頑張って進みます!
花売り場
水尾わかれを右折しさらに参道を上っていくと、今度は左手に古い一軒家が見えてきました。
この建物はその昔、防火にご利益があるとされる植物の樒(しきみ)を参拝客に販売していたハナ売場でした。
先ほどの水尾分かれを直進するとたどり着く、水尾地区に住んでいたハナ売りの女性が毎日樒の束をここまで運んで売っていたそうです。
荷物が少ない状態で上るのも大変なのに、樒の束を背負って毎日ここまで登ってくるのはさぞかし大変なお仕事だったんでしょう、頭が下がる思いですね…。
ハナ売場を越えたあたりに、入り口でも見かけた注意書き看板がここにもありました。
因みにこの辺りから延々と続く石階段は表参道の終盤戦、通称「ガンバリ坂」と呼ばれる場所なのでその名の通り頑張って歩を進めます!
黒門
ハナ売場から延々と続いた石階段を上っていくと、ようやく黒門(くろもん)が見えてきました!
名前の通り真っ黒に塗られた風格あるこの門は、愛宕神社が白雲寺であったころから残る遺構の一つで、京都側からの入り口として京口惣門(きょうぐちそうもん)とも呼ばれていたんだそうです。
ということでここからがようやく愛宕神社の境内、その見どころを引き続き見て行きたいと思います!
愛宕神社境内の見どころ
黒門を抜けて石階段を進んでいくと、ようやく愛宕神社の神域に入ることができました!
昨今はこの山でのマナーを守らない方が増えているらしく、このままでは入山禁止も検討されるそうなので、私を含め皆さんこれからもマナーを守った参拝を心がけるようにしましょう!
愛宕神社の境内は、山上にあるにも関わらず驚くほど広い敷地が広がっていました!
訪れた際は7月の初夏だったんですが、半袖では寒いくらいの気温で凛と張りつめた空気が漂っていました。
山上に広がる境内の案内図がありました。
本殿へはまだ少し距離があり、長い階段が控えているんですね…、頑張ろう!(苦笑)
社務所
境内を歩いて行くとまず左手に社務所(しゃむしょ)が見えてきました。
この社務所の前には、公衆電話が備え付けられていました。
NTT Docomoの電波はかろうじて届いていましたが、山の上なので携帯電話の電波が届かない場合なども安心ですね。
社務所の前には自動販売機も2台設置されていました!
社務所横の広場には、公衆トイレもありましたよ。
慶俊社/好庵社
社務所の敷地北側には、2つの神棚が合祀された小さな祠がありました。
左側が慶俊僧都(けいしゅんそうず)を祀る慶俊社(けいしゅんしゃ)、右側が中川好庵(なかがわこうあん)を祀る好庵社(こうあんしゃ)です。
慶俊僧都さんは、和気清麻呂(わけのきよまろ)と共にこの愛宕神社の前身である白雲寺を創設した人物。
中川好庵さんは、江戸時代の1830年に起きた京都地震でこの神社が壊滅した際、再建に尽力をされた人物です。
鉄鳥居
社務所を過ぎて境内を進んでいくと、本殿へと続く最後の関門である長い石階段と重厚な鉄灯籠が出迎えてくれます。
長い石階段を登った先に見えてくるのが、鉄鳥居(てつとりい)です。
その名の通り珍しい鉄製の鳥居で、その重厚感に圧倒されますね。
鳥居の柱にはこの愛宕神社の神の遣いとされる猪(いのしし)が刻まれていました。
前身である白雲寺の創始者の一人である和気清麻呂(わけのきよまろ)がその昔猪に命を救われたり、この神社の方角が京都中心部から戌亥(いぬい)=西北の場所にあるなどで、この神社は猪と非常に縁が深いとされてきたんだとか。
この神社が創設された要因となった大天狗・太郎坊(たろうぼう)もまた、猪に乗って空を駆けたとも言われており、神社に奉納された絵馬にその姿を見ることができます。
稲荷社
鉄鳥居の左手には、かなり年季の入った朱塗りの鳥居の列が続いています。
鳥居の先には狐でお馴染み、五穀豊穣を司る稲荷神(いなりしん)を祀る稲荷社(いなりしゃ)がありました。
そっと手を合わせつつ、石階段に戻ります。
神門
鉄鳥居の先にある唐破風を備えた重厚な木製の門が、神門(しんもん)です。
こちらから先はいよいよ愛宕神社の神域、麓から歩くこと2時間30分でようやく到着です!
「いやー、なかなか上るのは大変だった!これは一生に一度で良いかなー!」
なんて心の中で思っていたら、神門の脇にはこんな石碑が…。
「参拝登山3000回!?、5000回!?」
5000回って、もし毎日欠かさず登ったとしても13年以上かかる計算なんですけど…!
世の中凄い方々がおられるんですね、すごいの一言です。
手水舎
本殿の手前には、手水舎(ちょうずしゃ)がありました。
こんなにも山のてっぺんなのに、簡素ながらもきちんと水をたたえてくれていることに感謝しつつ身を清めさせていただきました。
本殿
手水舎から前方を見上げると、そこには「愛宕大神(あたごおおかみ)」の扁額がかかる幣殿(へいでん)がそびえていました!
では一礼をしつつ内部にお邪魔してみたいと思います!
幣殿の入り口をくぐると、本殿との間には石の廊下と中庭が広がっていました。
私が訪れた際は丁度初夏だったため、夏越の祓(なつごしのはらえ)を行うための茅の輪(ちのわ)くぐりが設けられていました。
茅の輪くぐりを抜けて進んだ先にある荘厳な建物が、本殿(ほんでん)です。
江戸時代の1836年に再建の後、昭和期に大改修が施されたんだそうで、ここには愛宕権現(あたごごんげん)の垂迹神であった伊邪那美命(いざなみのみこと)を始め、日本神話における5柱の神様が奉じられています。
こちらの本殿は、施されている木彫りの装飾が素晴らしいの一言でした!
1枚の木の板から掘り出されているであろう精巧な装飾は、今にも動き出しそうな躍動感!
そんな装飾が、本殿の欄間や軒下の至る所に施されていました。
あの長く険しかった参道の道のりも、このような素晴らしい光景を拝めるとあれば頑張ってでも登る価値ありです!
若宮社
本殿の左手には、本殿深部につながる木製の回廊がありました。
回廊を抜けた先には、木製の社である若宮社(わかみやしゃ)が備えられています。
「火迺要慎(ひのようじん)」という言葉に代表される通り、この愛宕神社は古来より火伏せや防火の御利益があります。
この若宮社では、この御利益に関連する火を司る迦具土命(かぐつちのみこと)と雷神(らいじん)、土の神である破無神(はむのかみ)の計3柱を祀ります。
奥宮社
若宮社からさらに奥に進むと、境内の最深部に奥宮社(おくみやしゃ)が控えていました。
出雲大社の主祭神でもある大国主命(おおくにぬしのみこと)をはじめ、日本全国にある各大社の分霊を祀ります。
神明社/熊野社
本殿の手前に広がる中庭の左手には、二つの摂社がひっそりと佇んでいました。
向かって左側が天照大神(あまてらすおおかみ)を祀る神明社(しんめいしゃ)、右側が伊奘諾尊(いざなきのみこと)を祀る熊野社(くまのしゃ)です。
これで本殿内部の見どころを回ることができました。
白髭社
最後に本殿から鉄鳥居に戻り、右側にある鳥居の先を進んでみましょう。
3分ほど山道を進むと、「白髭明神(しらひげみょうじん)」の扁額がかかる鳥居が見えてきました。
その先には、3つの小さな祠が合祀された建物がありました。
向かって右側から修羅髭大神を祀る修羅髭社(しゅらひげしゃ)、白髭大神を祀る白髭社(しろひげしゃ)、白波大神を祀る白波社(しらなみしゃ)です。
何でもこの白髭大神は天狗の原型ともされる猿田彦命(さるたひこのみこと)と同一神だそうで、この愛宕神社の地が大天狗・太郎坊(たろうぼう)が顕現した地でもあることから、この地に祀られているのかも知れませんね。
さて、これで愛宕神社の主な見どころを見ることが出来ました!
約4km、2時間30分の山道は本当に大変な道のりでしたが、その先にある本殿の装飾の素晴らしさや境内の荘厳な雰囲気などを見ると、やはり頑張ってでも来た甲斐があったな!と思いました。
皆さんも是非チャレンジしてみてくださいね!
月輪寺ルート(帰り)の見どころ
愛宕神社だけが目的地であれば、帰りの道は行きに通った表参道をそのまま帰ればOKです。
が、今回私はこの愛宕神社の前身である白雲寺と同時に建てられたとされる月輪寺(つきのわでら)にも立ち寄りたかったため、帰りのルートは「月輪寺参道ルート」を通って帰りました。
ここではその帰りに訪れたルートを参考までにご紹介します。
月輪寺ルート下山口
月輪寺参道ルートの下山口は、愛宕神社の鉄鳥居から右側に伸びる山道を進んだ場所、丁度白髭神社の南側に位置しています。
入り口には写真のような看板がありますので、この分岐路を右側(下り方面)に進んでいきます。
この月輪寺参道ルートは、行きの表参道よりも道がかなり狭いため足元に注意しながら進みましょう!
大杉谷ルート分岐
下山口を少し進むと、写真のような分岐点が見えてきます。
こちらを右側に曲がると「大杉谷ルート」に行くことになりますので、今回はそのまま真っ直ぐ月輪寺方面に進みます。
月輪寺
下山口から山道を下ること約50分で、月輪寺(つきのわでら)に到着です。
こちらは愛宕神社の前身である白雲寺と同じく飛鳥時代の704年ごろに創建された天台宗の寺院で、法然上人二十五霊場の第十八番札所、本堂には数多くの重要文化財が眠る由緒あるお寺です。
身助地蔵尊
月輪寺の境内からさらに山道を下ること約20分、道の脇に身助地蔵尊(みたすけじぞうそん)が見えてきました。
月輪寺ルート入山口
身助地蔵尊から山道を下ること約15分、月輪寺ルートの入山口に到着しました。
愛宕神社の下山口からは約1時間30分ほどでの到着、やはり行きの上り坂と比べて帰りは格段に速いですね。
しかし、この月輪寺ルートの入山口から麓の青木駐車場や二の鳥居まではまだあと約2km(徒歩約30分)ありますので注意しましょう。
今回私は、この入山口から左手の沢を登った先にある空也の滝にも立ち寄りましたので、引き続き空也の滝への道順を書いておきます。
空也の滝へは、先ほどの月輪寺ルート入山口の左側にあるこの沢の道を登っていきます。
訪れた初夏は沢の水量が多く、マイナスイオンたっぷりで疲れた体を癒してくれました!
八大龍王の鳥居
空也の滝への沢の道は一本道なので、特段迷うことは無いと思います。
道中には、八大龍王(はちだいりゅうおう)を祀る神域の鳥居がありました。
道の途中には写真にあるような建物に挟まれた一見立ち入り禁止のような道がありますが、空也の滝はこの先であり特に立ち入り禁止の看板なども見当たりませんので、気にせずに進んでいきましょう!
空也の滝
月輪寺の入山口から歩くこと約400m(徒歩約10分)で、空也の滝(くうやのたき)に到着しました!
落差は約15m、滝の周囲には様々な仏像や石碑が立ち並ぶその姿は、古からの修行の地としての威厳を感じさせます。
ここは、名前の通り「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の念仏を広めた祖として知られる浄土教の僧・空也(くうや)が修行をした地として知られ、現在でも滝行が盛んにおこなわれている地なんだとか。
この空也上人は、口からにょろりと小さな阿弥陀如来を六体連ねた念仏を唱える姿の像がとても有名ですね。
京都市東山区にある六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)で実際にこの像を見ることができますので、興味がある方はぜひ行って見てください!
これで、愛宕神社の表参道からはじまった愛宕山の3つの名所巡り(愛宕神社、月輪寺、空也の滝)は完了です!
AM7:30頃に出発したにもかかわらず、この空也の滝を見終えた時間はPM2:00ごろ。
ということで、この3か所を全て回る場合は時間に余裕を持って入山することをお勧めします!
愛宕神社の動画
愛宕神社の写真
愛宕神社の御朱印
愛宕神社の御朱印には右上に通常の神社で書かれる「奉拝」ではなく、山を登って参拝してきたことを示す「登拝」の文字が書かれています。
御朱印は本殿横の受付にて頂くことが出来ますが、令和2年から御朱印のデザインが少し変わったそうです。
詳しくは神社のWebサイトを確認してみてください。
愛宕神社への行き方/アクセス方法
愛宕神社へ公共交通機関を使っていく場合は「阪急嵐山線 嵐山駅」か「嵐電嵐山本線 嵐山駅」の駅前からバスに乗車して、「清滝バス停」に向かいましょう。(表参道入山口は清滝バス停から徒歩約15分ほどです。)
自家用車で向かう場合は、表参道入山口の近くにある「さくらや青木駐車場」さんに車を止めましょう。
大阪梅田駅から嵐山駅へのルート例(電車)
①阪急京都線で「大阪梅田駅」から「桂駅」へ行き、阪急嵐山線に乗り換え。
②阪急嵐山線で「桂駅」から「嵐山駅」へ。
なんば駅から嵐山駅へのルート例(電車)
①大阪メトロ御堂筋線で「なんば駅」から「梅田駅」へ行き、阪急京都線に乗り換え。
②阪急京都線で「大阪梅田駅」から「桂駅」へ行き、阪急嵐山線に乗り換え。
③阪急嵐山線で「桂駅」から「嵐山駅」へ。
京都駅から嵯峨嵐山駅へのルート例(電車)
①JR嵯峨野線(山陰本線)で「京都駅」から「嵯峨嵐山駅」へ。
阪急嵐山線 嵐山駅からバスに乗る場合
「阪急嵐山駅前」バス停から京都バス「62/72/92/94系統 清滝行き」に乗車、「清滝」バス停で下車。
バス会社 | 京都バス |
行先/系統 | 62/72/92/94系統 清滝行き |
乗車バス停 | 阪急嵐山駅前 |
降車バス停 | 清滝 |
運賃 | 230円 |
所要時間 | 約21分 |
嵐電嵐山本線 嵐山駅からバスに乗る場合
「嵐山天龍寺前/嵐電嵐山駅」バス停から京都バス「62/72/92/94系統 清滝行き」に乗車、「清滝」バス停で下車。
バス会社 | 京都バス |
行先/系統 | 62/72/92/94系統 清滝行き |
乗車バス停 | 嵐山天龍寺前(嵐電嵐山駅) |
降車バス停 | 清滝 |
運賃 | 230円 |
所要時間 | 約17分 |
清滝バス停から表参道/清滝ルートの入山口(二の鳥居)へは徒歩約15分です。
タクシーで行く場合
京都駅から:約5,000円(約30分)
京阪祇園四条駅から:約4,800円(約30分)
阪急嵐山駅から:約1,700円(約10分)
・タクシー運転手に行き先を告げたい場合
・タクシーを呼びたい場合
・タクシー配車連絡先(京都駅・祇園四条駅周辺)
・タクシー配車連絡先(嵐山駅周辺)
周辺のホテル検索/予約
愛宕神社のある愛宕山周辺にはホテルがありませんので、嵐山駅周辺でホテルを探すことをお勧めします。
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いかがでしたか?
それでは楽しい旅を!