両足院(りょうそくいん)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院です。
室町時代初期の1358年に、建仁寺第三十五世・龍山徳見(りゅうざんとくけん)により創建されました。
親寺の建仁寺(けんにんじ)は、京都の禅寺が誇る「京都五山(きょうとござん)」の第三位に位置する名刹。
その建仁寺には過去に五十を超える塔頭寺院がありましたが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響により、現在は十四の塔頭が残ります。
この両足院も、そんな建仁寺の塔頭寺院の一つ。
初夏には庭園の半夏生(はんげしょう)が白く色づくことから、半夏生の寺とも言われます。
また、中国から来た僧がこのお寺に饅頭(まんじゅう)を初めて伝えた饅頭伝来の場としても知られています。
そんな両足院の見どころは「京都府の名勝庭園に指定されている池泉回遊式庭園」。
新緑の半夏生が初夏に白く色づく様は、人の心の移り変わりを観る禅の心を描写しているんだとか!
今回は、そんな両足院を訪れてみました。
両足院の歴史
では、まずはじめに両足院の歴史を一緒に見て行きましょう!
両足院は、京都の禅寺が誇る「京都五山(きょうとござん)」の第三位に位置する建仁寺(けんにんじ)の塔頭寺院の一つです。(写真はパンフレットより抜粋。)
室町時代初期の1358年に、建仁寺の第三十五世・龍山徳見(りゅうざんとくけん)により創建されました。
この龍山徳見さん、その生涯の半分以上を中国(当時の元王朝)での修行(留学)に費やした人物です。
留学中には、禅の本場である中国で失われつつあった「臨済宗黄龍派(りんざいしゅうおうりゅうは)の再興」に多大な貢献をします。
その功績もあり、1349年に室町幕府に請われ帰国すると、建仁寺や天龍寺、南禅寺など名だたる日本の禅寺の住持として活躍!
帰国時には林浄因(りんじょういん)という中国の僧が一緒にやってきて、このお寺に饅頭(まんじゅう)を伝えたんだそうです!
当時の饅頭と言えば、お肉を入れたお惣菜のような食べ物だったので、肉食禁止のお坊さんは食べられなかったんですね。
そのため、林浄因さんがお肉の代わりに甘く煮た小豆を入れた饅頭を作ったところ喜ばれ、後世に伝わったんですねー。
このお寺、創建当初は「知足院(ちそくいん)」という名前だったんです。
その名前の由来となったのが、中国の思想書・老子(ろうし)の言葉。
「吾唯知足(ワレ、タダ、タルヲシル)」
これは、禅の世界において「自ずからをわきまえ、それ以上を求めるのは無意味だ」という思想なんだとか。
その後は室町時代の1536年に火事で建物が消失、元々あったお寺の別院「両足院」と併合され現在の名前になりました。
仏教においては、二つの足を持つ中で最も尊い存在である仏様を「両足尊(りょうそくそん)」と呼ぶことがあります。
それが「両足院」という名称の由来なんだとか。
寺内には京都の北方を守る鞍馬寺(くらまでら)の本尊の胎内仏であった毘沙門天像が祀られています。
この毘沙門天に庇護されていたのが、戦国から江戸時代にかけて成功した氏族の一つ、黒田氏(くろだし)。
戦国時代きっての知将だった黒田官兵衛(くろだかんべえ)の氏族として有名な名家ですね!
彼は、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康という天下人の系譜の下で長く仕えることに成功した人物です。
そして官兵衛の長男である黒田長政(くろだながまさ)もまた、関が原の戦いで大功績をあげた人物。
その功績により、「黒田五十二万石」と称される筑前国福岡藩(現在の福岡県)の初代藩主になった人です。
その長政が、関が原の戦いの際「必勝」を念じて自身の兜に収めていたのがこの毘沙門天像!
まさに黒田氏の成功と繁栄を体現した像なんですね!(写真はパンフレットより。)
その後、このお寺は臨済宗黄龍派の意思を受け継ぐ中心寺院として、現在まで庇護されてきたと言います。
おしまい。
両足院について
両足院は通常非公開であり、「特別拝観期間」にのみ一般公開される場合があります。
京都の特別拝観情報
以下は「2019年冬の特別拝観」の情報です。
お寺のWebサイト
お寺の詳細
住所:〒605-0811 京都府京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町591
連絡先:075-561-3216
創建:1358年
開基:龍山徳見(りゅうざんとくけん)
宗派:臨済宗(りんざいしゅう)
本尊:阿弥陀如来(あみだにょらい)
拝観時間
10:00~16:00
拝観料
大人 | 600円 |
子供 | 300円 |
その他注意点
・特別拝観時以外にも、月に数回「座禅体験」が行われています。(要予約)
・写真/動画撮影可能な場所や一脚/三脚の利用可否は、必ず係員に確認しましょう。
・神社やお寺の正式な参拝方法は以下の記事を参考にしてくださいね。
では次に、両足院の見どころを訪問時の写真を参考に振り返ってみたいと思います!
両足院の見どころ
*のついている見どころは有料エリアです。
方丈*
入口を入ると見えてくる建物が、方丈(ほうじょう)です。(写真はパンフレットより。)
江戸時代の寛永年間(1624-1643)に再建されたと伝わります。
内部には、ご本尊の木像阿弥陀如来立像が祀られています。
方丈と庫裏の間には、閼伽井庭(あかいにわ)と呼ばれる坪庭があります。
「閼伽(あか)」とは仏様にお供えするお水のことで、そのお水を汲むための井戸が備えられています。
中央の苔地には、仏の世界観を現す三尊石。小さいながらも立派で奥深いお庭ですね。
方丈前庭*
方丈前庭(ほうじょうまえにわ)は、桃山時代の作庭と伝わります。
苔地に松や石組みを配した、とても趣きのある枯山水庭園です。
方丈の枯山水庭園は建物を取り囲むように作庭されており、後述の書院庭園と回遊式に石畳でつながります。
全てあわせると、なんと300坪を超える広さなんだとか!
大書院*
方丈の廊下を進むと見えてくるのが、大書院(だいしょいん)です。
こちらも方丈と同じく江戸時代、寛永年間(1624-1643)の再建と伝わります。
書院前庭*
書院の東側に広がるのが、京都府の名勝庭園にも指定されている書院前庭(しょいんまえにわ)です。
茶道の薮内流五代・藪内竹心(やぶのうちちくしん)による作庭と伝わる、池泉回遊式の雄大な庭園です。
水月亭/臨池亭*
書院前庭の北側に佇む建物、向かって左手が茶室の水月亭(すいげつてい)、右手が臨池亭(りんちてい)です。
水月亭は、織田信長の弟の一人であった織田有楽斎好みとされる国宝の茶室、如庵(じょあん)の写しとして、1910年に建てられたものです。
臨池亭は、水月亭の建設に深く関わりのあった大村家の別荘が、1926年に移築されたものです。
毘沙門天堂
境内の北側には、毘沙門天堂(びしゃもんてんどう)があります。
「両足院の歴史」の欄に書いたとおり、黒田氏に代々伝わる毘沙門天像が祀られています。
前面にあるのは「狛犬」ならぬ「狛虎」。
毘沙門天のご利益の一つ「勝利の縁起」は、一説には「寅年、寅日、寅の刻」に授けられたと言います。
この故事により、古来より「虎」が毘沙門天の遣いの一つとされているんですね。
境内*
こちらは、庫裏の入口に広がる白砂の枯山水庭園。
こちらは、書院前庭と方丈前庭を仕切る門と手水鉢。
こちらは、大書院の横から臨む庭園です。
こちらは、大書院の内から臨む庭園です。
両足院の動画
両足院の写真
両足院の御朱印
両足院の御朱印は、お寺の旧名である「知足(ちそく)」の墨書きです。庫裏の売店で頂けます。(300円)
両足院への行き方/アクセス方法
両足院は建仁寺の境内にあります。
最寄り駅は、「京阪 祇園四条駅」または「阪急 河原町駅」です。
JR京都駅からバスでも行けますが、電車で行くことをおススメします。
大阪駅からのルート例(電車)
①JR大阪環状線で「大阪駅」から「京橋駅」へ行き、京阪電車に乗り換え。
②京阪電車で「京橋駅」から「祇園四条駅」へ。
なんば駅からのルート例(電車)
①大阪メトロ御堂筋線で「なんば駅」から「淀屋橋駅」へ行き、京阪電車に乗り換え。
②京阪電車で「淀屋橋駅」から「祇園四条駅」へ。
京都駅からのルート例(電車)
①JR奈良線で「京都駅」から「東福寺駅」へ行き、京阪電車に乗り換え。
②京阪電車で「東福寺駅」から「祇園四条駅」へ。
河原町駅、祇園四条駅からの徒歩ルート例
徒歩約15分(800m)です。
京都駅からバスで行く場合
「京都駅前 乗り場D2」から「京都市バス206系統」に乗車、「東山安井」で下車。
バス会社:京都市バス
行先・系統:206系統[祇園・北大路バスターミナル行き]
乗車バス停:京都駅前[D2]
降車バス停:東山安井
運賃:230円
所要時間:約20分
[時刻表]206系統
タクシーで行く場合
京都駅から:約1,400円(約10分)
・タクシー運転手に行き先を告げたい場合
・タクシーを呼びたい場合
[タクシー配車連絡先: 京都駅周辺]
両足院周辺のホテル検索/予約
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いかがでしたか?
それでは楽しい旅を!( *´艸`)