三井寺/園城寺(みいでら/おんじょうじ)は、滋賀県大津市にある天台寺門宗総本山の寺院です。
お寺の正式名称は「園城寺」で、寺の霊泉が「天智」「天武」「持統」の三代天皇の産湯として使われたので、通称「御井(みい)の寺」=「三井寺」とも呼ばれるようになったんだとか。
お寺の見どころは何といっても「近江八景の絶景と春の桜」!。
境内には1,000本を超える桜の木があり、滋賀県は元より関西屈指の桜の名所として知られます。
また、琵琶湖のほとりにある高台に位置するため、境内からは大津の町並みを一望できます!
「関西屈指の絶景を見たければ三井寺/園城寺へ!」
今回はそんな三井寺を訪れました。
三井寺の歴史
では、まずはじめに三井寺/園城寺の歴史と覚えておきたいポイントを一緒に見て行きましょう!
この三井寺/園城寺は、7世紀頃の近江の氏族である大友氏(おおともうじ)の氏寺として創建されました。
開基はこの大友氏の中心人物であった大友与多王(よたのおおきみ)と言われます。
7世紀と言えば飛鳥時代(あすかじだい)、あの奈良の法隆寺の創建とほぼ同年代のためかなり古い歴史を持つお寺です。
その後一旦荒廃するも、9世紀にはいると天台寺門宗の円珍(えんちん)によって再興され、天台宗の寺院としての歴史が始まります。
円珍は智証大師(ちしょうだいし)とも呼ばれた大僧で、その生涯で「黄不動(きふどう)」を悟り得たと言われています。
この悟りを体現した黄不動の仏画は、高野山明王院の「赤不動」、青蓮院(青龍殿)の「青不動」と共に日本三不動の一つに数えられています。
(ただし、三井寺の黄不動は秘仏であり特別公開期間にしか公開されません。)
また、金堂に納められている本尊の弥勒菩薩は「絶対の秘仏」とされており、何と今までに誰も見たことが無いとまで言われる幻のご本尊。
そんな三井寺は、「不死鳥の寺(ふしちょうのてら)」とも呼ばれているのをご存知ですか?
何故そのように呼ばれるようになったのか。
それはこの三井寺の壮絶な苦難の歴史に由来します。
歴史上、一番の苦難は比叡山延暦寺との抗争。
当時の延暦寺はイケイケの武闘派集団で、他の宗派の弾圧は朝飯前。
しかしお気づきの通り、三井寺は延暦寺と同じ「天台宗」。
「えっ?それでも弾圧されたの?」と、誰もが思うでしょう。
はい、そんな「同じ宗派」なんてその当時の延暦寺にはお構いなしだったんです。
実は、天台宗の内部では昔から「延暦寺派閥」と「三井寺派閥」の対立が続いていました。
そして10世紀頃に比叡山の我慢が大爆発!
この三井寺をはじめとした三井寺派閥のお寺を完膚なきまでに焼き討ちし尽くします。
この焼き討ちは、大規模なもので約10回、小規模なものを含めると50回にも上ったんだとか。
「延暦寺さん怒らせるとまじパネェっす!怖ぇっす!」
延暦寺は「山門派」、三井寺は「寺門派」と呼ばれていたので、両者の抗争は歴史上「山門寺門の抗争」とも呼ばれます。
その後、織田信長の「比叡山焼き討ち」で延暦寺の勢力が衰えたためようやくこの三井寺も復興します。
が、このお寺の苦難の歴史はまだまだ続きます。
桃山時代の1595年、豊臣秀吉の怒りになぜか触れてしまいお寺の土地をボッシュート!またもや存続の危機に陥ります。
(ただ、このとき三井寺がなぜ豊臣秀吉を怒らせたのかは未だに謎だと言われています。)
しかし、1598年に秀吉は死の直前になって前言撤回、奇跡的に三井寺の再興を許可することに。
これは何と、死の淵にいた秀吉が三井寺の祟りを恐れたからだと言われています。
祟りが怖いなら、最初からいちゃもんつけなければ良かったのにね。
そのため、現在の三井寺の境内や建物はほぼこの頃に整備されたものなんです。
このように、三井寺は歴史を振りかえるとまさに踏んだり蹴ったり。
よく今まで生き残ってきたよね!って言いたいほどの黒歴史。
そして、歴史上の苦難をしぶとく乗り越えた三井寺はいつしかこう呼ばれるようになりました。
「三井寺って、不死鳥のごとく復活するお寺やん!すげぇな!」
教訓「人生を不動明王の如く耐えれば、不死鳥のように蘇るチャンスがある…かも。」
おしまい。
三井寺について
お寺の詳細
住所:〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町246
連絡先:077-522-2238
創建:7世紀
開基:大友与多王(よたのおおきみ)
宗派:天台寺門宗
ご本尊:弥勒菩薩
拝観時間
8:00~17:00
*指定文化財収蔵庫は、8:30~16:30(受付終了は16:00)
拝観料
大人 | 600円 |
中高生 | 300円 |
小学生 | 200円 |
その他注意点
・写真/動画撮影可能な場所や、一脚/三脚の利用可否は必ず係員に確認しましょう。
・国宝の光浄院や勧学院への拝観は、一部期間を除き3名以上での事前予約が必要です。
・神社やお寺の正式な参拝方法は以下の記事を参考にしてくださいね。
では次に、三井寺/園城寺の見どころを訪問時の写真を参考に振り返ってみたいと思います!
国宝や重要文化財のオンパレードであり、沢山の見どころがありましたよ!
三井寺の見どころ
- 仁王門 (重要文化財)
- 釈迦堂 (重要文化財)*
- 金堂 (国宝)*
- 光浄院 (国宝)*
- 勧学院 (国宝)*
- 三井の晩鐘 (重要文化財)*
- 閼伽井屋 (重要文化財)*
- 霊鐘堂 (重要文化財)*
- 一切経蔵 (重要文化財)*
- 唐院 (重要文化財)*
- 唐院 三重塔 (重要文化財)*
- 唐院 潅頂堂 (重要文化財)*
- 唐院 大師堂 (重要文化財)*
- 唐院 長日護摩堂*
- 唐院 四脚門 (重要文化財)*
- 村雲橋*
- 微妙寺*
- 毘沙門堂 (重要文化財)*
- 観月舞台*
- 観音堂*
- 鐘楼*
- 絵馬堂*
*のついている見どころは有料エリアです。
仁王門 (重要文化財)
お寺の入り口にある堂々とした建物が、重要文化財に指定されている仁王門(におうもん)です。
室町時代の1452年に、甲賀にある常楽寺(じょうらくじ)の表門として建立されました。
この三井寺には、江戸時代の1601年に徳川家康の寄進により移築されました。
釈迦堂 (重要文化財)*
仁王門を抜けて境内に入ると、まず右手に釈迦堂(しゃかどう)が見えてきます。
こちらは室町時代初期に建立された建物で釈迦如来を本尊とし、重要文化財に指定されています。
金堂 (国宝)*
境内の通路を進んでくと、真正面に立派な金堂(こんどう)が見えてきます。
桃山時代の1599年に豊臣秀吉の正妻であった北政所(きたのまんどころ)の寄進により再建された建物で、国宝に指定されています。
光浄院 (国宝)*
光浄院は桃山時代の1601年の建立で、国宝に指定されています。
三井寺の中で最も高い格式を持つ小院と言われています。
通常は非公開で、3名以上の事前予約で特別に拝観することができます。
見学したことが無いため、写真はありません。
勧学院 (国宝)*
勧学院は桃山時代の1600年の建立で、国宝に指定されています。
三井寺の学問所としての役割がありました。
こちらも通常非公開、3名以上の事前予約で特別に拝観することができます。
見学したことが無いため、写真はありません。
三井の晩鐘 (重要文化財)*
金堂の隣には、平等院、神護寺の梵鐘と並ぶ「天下の三名鐘の一つ」として名高い「三井の晩鐘(みいのばんしょう)」を吊るす鐘楼があります。
この梵鐘は重要文化財に指定されており、「近江八景の一つ」にも数えられている名鐘です。
閼伽井屋 (重要文化財)*
金堂の左手奥にひっそりと鎮座している祠が、重要文化財に指定されている閼伽井屋(あかいや)です。
桃山時代(1600年)の建立で、「天智」「天武」「持統」の三代天皇の産湯として使われた霊泉が湧いている場所を守護するとされる重要な遺構です。
霊鐘堂 (重要文化財)*
金堂の裏手から少し高台に登ると、霊鐘堂(れいしょうどう)が見えてきます。
この建物の内部に保管されている梵鐘は、「弁慶の引き摺り鐘」と呼ばれ重要文化財に指定されています。
先ほどの三井の晩鐘も大きかったですが、こちらはさらに輪をかけて大きく歴史を感じさせる作りです。
それもそのはず、この梵鐘が作られたのは何と奈良時代なんだとか!
こちらは、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)が実際に使っていたと言われる大釜です。
実は、武蔵坊弁慶は実在の人物ではなく、比叡山延暦寺から源義経(みなもとのよしつね)を庇護した三井寺派閥の僧侶たちを指すとも言われています。
そのため、この梵鐘や釜は、このお寺と延暦寺の抗争を象徴する遺構として知られています。
一切経蔵 (重要文化財)*
霊鐘堂を抜けた左側に、一切経蔵(いっさいきょうぞう)が見えてきます。
桃山時代の1602年に再建され、重要文化財に指定されている建物です。
この経蔵には、仏教聖典の総集編である一切経(いっさいきょう)を納める回転式の蔵が収蔵されています。
唐院 (重要文化財)*
一切経蔵の左隣には中興の祖である円珍の墓所であり、唐より持ち帰った経典を納めた唐院(とういん)と呼ばれる建物群があります。
唐院 三重塔 (重要文化財)*
唐院には重要文化財に指定された、立派な三重塔(さんじゅうのとう)があります。
桃山時代の1601年に、徳川家康の寄進により移築されたものです。
唐院 潅頂堂 (重要文化財)*
唐院 大師堂 (重要文化財)*
唐院の中には、各々役割が異なる様々な建物があります。
手前の建物が江戸時代の1629年に建てられた潅頂堂(かんじょうどう)です。
裏手の建物は、安土桃山時代の1598年に建てられた大師堂(だいしどう)です。
潅頂堂は修行道場、大師堂は円珍の像を祀る廟としての役割があり、いずれも重要文化財に指定されています。
唐院 長日護摩堂*
長日護摩堂(ちょうじつごまどう)は、江戸時代に建てられた護摩行を行う道場としての役割がある建物です。
唐院 四脚門 (重要文化財)*
唐院の入り口に当たる四脚門(しきゃくもん)は、安土桃山時代の1598年に建てられたもので重要文化財に指定されています。
村雲橋*
唐院を降りた辺りの境内の参道には、村雲橋(むらくもばし)と呼ばれる橋があります。
その昔、円珍がこの橋で雨乞いをした所、橋の下から雲が湧き立ったという古事が名前の由来です。
微妙寺*
村雲橋を抜けて境内を西に進むと、三井寺の塔頭の一つである微妙寺(びみょうじ)が見えてきます。
こちらは十一面観音をご本尊とし、湖国十一面観音霊場の第一番札所です。
毘沙門堂 (重要文化財)*
微妙寺の南側、少し高台に位置する場所には毘沙門堂(びしゃもんどう)があります。
江戸時代の1616年に建てられた極彩色の建造物で、毘沙門天を祀ります。
観月舞台*
毘沙門堂をさらに上った先には、観月舞台(かんげつぶたい)があります。
江戸時代の1849年に建てられたもので、古来より観月の名所として知られ、琵琶湖や大津の町並みを一望できます。
観音堂*
観月舞台の左隣には、観音堂(かんのんどう)があります
江戸時代の1689年に建てられた、如意輪観音をご本尊とする三西国三十三所観音霊場の第十四番礼所です。
鐘楼*
こちらが江戸時代の1814年に建てられた、鐘楼(しょうろう)です。
こちらの鐘楼には、朝鮮鐘という形式の梵鐘が吊られています。
絵馬堂*
観音堂の向かいには、絵馬堂(えまどう)があります。
休憩スペースとして開放されており、琵琶湖や大津の町の景色を見ることが出来ますよ!
三井寺の桜
三井寺の桜の見ごろは毎年4月上旬ごろです。
桜の開花や満開の予想は以下の記事を参照してくださいね。
三井寺の写真
三井寺の動画
三井寺の御朱印
三井寺には6種類の朱印があります。
今回私は「三井寺の本尊・弥勒佛」と「微妙寺の本尊・十一面観音」の御朱印を頂きました。
こちらが三井寺の本尊・弥勒佛の御朱印です。
金堂で頂くことができます(300円)。
こちらが微妙寺の本尊・十一面観音の御朱印です。
微妙寺で頂くことができます(300円)。
三井寺への行き方/アクセス方法
最寄り駅は「京阪石山坂本線 三井寺駅」です。
JR大津駅からバスで行くことも出来ます。
大阪駅からのルート例(電車)
①JR京都線/湖西線で「大阪駅」から「山科駅」へ行き、京阪京津線に乗り換え。
②京阪京津線で「京阪山科駅」から「浜大津駅」へ行き、京阪石山坂本線に乗り換え。
③京阪石山坂本線で「浜大津駅」から「三井寺駅」へ。
なんば駅からのルート例(電車)
①大阪メトロ御堂筋線で「なんば駅」から「梅田駅」へ行き、JR京都線に乗り換え。
②JR京都線/湖西線で「大阪駅」から「山科駅」へ行き、京阪京津線に乗り換え。
③京阪京津線で「京阪山科駅」から「浜大津駅」へ行き、京阪石山坂本線に乗り換え。
④京阪石山坂本線で「浜大津駅」から「三井寺駅」へ。
京都駅からのルート例(電車)
①JR琵琶湖線で「京都駅」から「膳所駅」へ行き、京阪石山坂本線に乗り換え。
②京阪石山坂本線で「京阪膳所駅」から「三井寺駅」へ。
三井寺駅からの徒歩ルート例
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徒歩約10分(600 m)です。
JR大津駅からバスに乗車する場合
「大津駅乗り場3」から京阪バス「26/66/66A系統」に乗車、「三井寺」で下車。
バス会社:京阪バス
行先・系統:
・26系統[大津京駅行き]
・66/66A系統[比叡平行き]
乗車バス停:大津駅[乗り場3]
降車バス停:三井寺
運賃:210円
所要時間:約10分
タクシーで行く場合
京都駅から:約5,500円(25分)
京阪 祇園四条駅から:約5,000円(約20分)
JR大津駅から:約1,000円 ~ (10分)
・タクシー運転手に行き先を告げたい場合
タクシー配車連絡先(京都駅周辺)
タクシー配車連絡先(大津駅周辺)
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いかがでしたか?
それでは楽しい旅を!